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以上八四年秋冬期の闘いが、八五年の闘いに対して如何なる規定性を与えるのか、八五年が如何なる政治状況の下で戦取されねばならないのかを述べてきた。
八五年わが同盟は、三月チーム・スピリット85粉砕の闘いを、日韓条約締結二十周年弾劾の闘いを射程に入れつつ闘い抜き、又、同時に二~三月を、開始された三里塚二期決戦の先端攻防を切り拓くものとして取り組みきらねばならない。そして六月、巨万の人民を総結集した八四年六・一七反トマ闘争をこえる反戦反核闘争を組織化し、八月戦旗・共産同政治集会におどり込んでいく必要がある。
ここで問われていることは、わが同盟が乾坤一擲の飛躍をかけて対日帝実力闘争、ゲリラ・パルチザン戦闘を大胆に準備し、実践していくことであり、それをもって内ゲバ党派の攻撃に対する組織的防御の陣形を打ち固め、彼等との対峙関係をつくりあげていくことである。わが同盟が勝利をおさめ、不抜のボリシェヴィキ勢力としてプレゼンスを増大させていくためには、革共同を左からこえることが真剣に考察され、実践されねばならず、それぬきにわが同盟が日本革命運動の主力党派にのし上がっていく道は、絶対に見い出しえない。
われわれは「北西風をこえる党」の精神で武装し、闘って闘い抜き、戦闘を通じ自らを打ち鍛え、×××××名動員への道を切り拓いていかねばならないのである。
「北西風をこえる党」の精神で武装するとはどういうことか。八四年、わが同盟は「北西風が党を鍛える」を合言葉に、日帝国家権力や内ゲバ党派の襲撃に対する防御的防御の陣形を構築することをめざし闘いぬいた。八五年にあってはこの防御的防御の構造から、防御的対峙の構造にまで闘いを発展させ、わが同盟の主導性、能動性を発揮してゆく必然性があるのである。
もちろん基軸は戦略的防御である。日帝国家権力に対してもアナーキーな攻撃をやたらめったらに加えればよいなどということにはなりえない。敵の破防法弾圧に抗しつつ、攻勢を加え、戦略的対峙の関係性をつくりあげていくことが現段階の任務とならざるをえない。また内ゲバ党派の攻撃に対しても防御を基軸としつつ、戦略的には日帝国家権力との闘いの規定性を作りあげることによって、対峙を生み出していくこと、それが闘いの基調をなすのである。
この防御的防御から防御的対峙への攻防の発展を作りあげること、この発展を克ちとることを、「北西風をこえる党」の精神で武装せよと表現しているのである。もちろん問題は標語ではなく実践である。実践的に対峙の関係を作りあげることを、必ずやりきろうではないか。
全党・全軍の同志・友人諸君!
わが同盟は一歩ずつ前進し、その地歩を築きあげてきたが、ここに到るまでにはいくたの同志・先人の血と汗の努力が、党史の中にうず高くつみ上げられている。その蓄積にもとづき、自らの主体的階級的成熟にのっとって、わが同盟は飛躍的前進をとげ、そのプレゼンスを拡大させてきたのである。
そして現在のわが同盟は、決して七〇年代末期のような力量の下に置かれているのではない。われわれは力をつちかい、今や本部ビル建設も実現し、××××の動員力を保持しながら、北西風うず巻く稜線を刻苦奮闘しつつも一歩一歩頂をめざし歩みつづけているのである。誰もこの進撃を止めることはできない。
ゆえに八五年において「北西風をこえる党」にまでの飛躍をとげることは、全く可能であり、この貫徹を固く意志統一したい。またそのためには、わが同盟を構成する一人ひとりが、己を捨て党と人民の勝利のために献身する精神を片ときも忘れることなく、何よりも己の内における組織創造性を発揚し、党的団結を一層強固なものにすべく奮闘しつづけるのでなければならない。党の団結は絶対であり、それさえあればわれわれはどんな困難にも必ず勝利することができるのである。
事実わが同盟は、八三年三月以降の中核派の党派戦争宣言に対抗しきり、あくまでも団結を保持しきり、もって党勢を拡大しつづけてきたではないか。
八五年における政治的組織的獲得目標をもう少し具体的に提起しよう。
八五年において、第一にわれわれがめざすべきことは、武装し闘う革命党として、孤立を恐れず戦略的総路線を貫徹しぬくことであり、そうした思想性と背骨を、完全に組織的共同主観として定着させざることである。と同時に、八四年七月「連帯する会」脱会後の共闘関係の再編を必ずやりきり、独自の統一戦絶論にもとづくゲリラ・パルチザン戦闘潮流を創出しぬくことである。そのためには何度だって単独決起をやりきり、絶対にヘタったりせず、味方ができるまで孤塁を守って闘い抜くのだ。戦旗・共産同は、八五年をボリビアに決死の革命戦争の精神で武装しおもむいた、チェ・ゲバラの戦闘精神をもって闘い抜く。
第二に、ゆえにわれわれは二・二四三里塚決起での××××名以上動員、三・二一チーム・スピリットDデイ粉砕闘争での××××名以上動員、そして六月反戦反核決起での××××名以上動員を、死力を尽くして貫徹しきろうではないか。また八月政治集会においては八四年十二・一六を上回る動員達成を実現しきり、しかもその過程においては徹底したゲリラ・パルチザン戦闘に打って出、三里塚二期決戦に必ず勝利しようではないか。
第三にわれわれは本部ビル建設時にも意志統一したサークルから党への飛躍をかけての全国党建設への邁進を実践的に西下北上計画の貫徹として、つまりEFG地区党建設への取り組みとして、八五年春に着手することである。
わが同盟の全国党建設へむけての歩みは、全党××××名の動員力の実態からみたとしても、未だ全く片寄りにみちたものとしかなりえていない。わが同盟が存在するのは九州・四国・北海道を除いた本州においてのみであり、それも関東・関西・愛知に拠点を有するというにすぎない存在下にある(東海道党派)。
これは一九七三年六月におけるアダチ分派の発生において、北海道を城山グループに、九州をアダチグループに蚕食されてしまい、その余波で新潟や東北地方、沖縄に形成されかかっていた地区党までが崩壊してしまった現実を、アダチ分派後十二年たった今日においても、未だわが同盟が克服しきれていない姿の露呈である。この現実の克服は早急に押しはかられていかなければならない。
その場合の方法としては、全くアプリオリに数名の活動家を派遣して「××地区」を名のるといった「飛び石」方式によってではなく、大衆運動をも構築することができ、横へ横へと広がっていく連関構造をもった「ベルト・ライン」の考え方によって、われわれは全国化を実現していくのでなければならない。そうした考え方にもとづき、八〇年以降わが同盟はPQR、YZA地区の創設をなしてきたわけであるが、このテンポは決して早いとはいえない実状下にある。一九八五年においてはこの全国党建設へむけての歩みを早め、全国津々浦々にまで真紅の戦旗・共産同の旗をなびかせる任務に大胆に着手せねばならず、その第一件として八五年春期EFG地区党建設を必ずやりきろうではないか。
そのためにはかなり多量のカードル部分が選抜され、職をかえ、居住をかえての移動が完了されねばならない。この事業への全党全軍の同志諸君の協力を要請する。
第四には、マニュアル化・機構化をつうじての破防法弾圧に抗する武装せる革命党建設の前進を、八五年においては徹底完成させきる意気ごみをもって臨み、実体的なサークルから党への飛躍を実現しきることである。そのためには徹底した『組織実践ノート』の学習が、幾度にもわたって組織化されなければならず、ただ学習するというだけでなく、それは必ず実践されなければならない。訓練をつうじた習熟が活動家の習性をつくりあげるのであり、革命的警戒心を高めあげ、日帝国家権力の弾圧の激化に抗する体制を作りあげることぬきには、ひとつのエピソードとしてしか闘いを組織することはできず、三里塚二期決戦を担いぬき、なおかつ党を発展させることなどとてもできないのである。
七八年三・二六管制塔占拠や五・二〇開港阻止決戦を担った第四インターのその後の凋落は、この事実を端的にものがたっている。第四インターには組織的規律がなく、又それをつくり上げんとする意識性、訓練が欠如していたのである。
この点に開してはわが同盟は、毛沢東の「党内における誤った考え方の是正について」や「党八股に反対する」を原基として闘い抜いてきた。レーニンの三部作(『何をなすべきか』『」一歩前進・二歩後退』『左翼小児病』)と併せこれらの文献は繰り返し学習されるべきであり、とくに新しく組織結集を実現したメンバーについては、必ずその読破と自分の手によるノートの作成が励行されねばならない。
活動家としての習性、作風とか党風についての原基なす考え方、身の処し方というものは、組織結集をとげてからの数年間に、彼が如何なる実践的諸関係におかれたのかで決定されてしまうことが多分にあり、組織創造性と結合された組織規律の主体化ぬきには、如何に口先で大仰なことを述べても、実践的に組織を領導する指導性を作りあげることは絶対にできない。
要するに小ブル的にわがままであったり、無責任であったり、何でも自分に引きつけてのみ思考し、対象的に組織にかかわれない等のサークル主義を、「量は少くても質の良いものを」のレーニンの考え方にもとづき、われわれは払拭していかなければならないのである。
わが同盟がブント諸派に対し有する独自性の大半は、個よりも全体を第一とし、自己よりも党を守る考え方を左翼サークル主義の克服をかけて定着化させんとしてきた歩みの中に求められるのであり、その定着化があったればこそわれわれは、必要に応じいつでもゲリラ・パルチザン戦闘に打って出る態勢の確立を可能とさせてきたのである。
この訓練・組織体質の確立は充分すぎる程に推進されていかねばならず、その実現をもって三里塚二期決戦に勝利していきたい。 プロレタリア的な革命的警戒心、組織マニュアルの励行と、その他者への指導を主体化しえない部分は、それ自体で革命家としての能力性における欠損を表現しているだけであり、それを自覚し、その陥穽を埋めるべく闘い抜いていくべきなのだ。七九年的陥穽というのは、なるべくしてなったまでのことであり、そういった対処しかとれない主体的な地が出ただけのことである。
まさしくわが同盟は未だ全体的にいえば、そういったサークル的地金をひきずっており、この克服にむけての全活動家の努力は継続されっづけねばならず、一歩一歩レーニン主義党への発展を全同盟的に作り上げていかねばならない。この任務を是非ともやりとげようではないか。
第五にわれわれは一九八五年においても組織の新陳代謝を活性化させ、若手力-ドルの大胆な養成をなしきり、アマチュアリズムを排したプロフェッショナルな観点を持つ、自立した青年革命家群を多量に輩出させるため闘い抜く必然性がある。
先にも述べたように一九八〇年以降の前進は、その過程において多量の若手カードル層を発掘し、その部分へのヘゲモニーの移行をなし、全体としてのわが同盟の保守化を克服せんとしてきた点に主要な勝利の根拠をおいている。この政策は継続してすすめられねばならず、二十歳代中期の活動家層が組織的な指導的位置につき、たとえその若さを露呈することがあったとしても、そこで己の力を発揮せんとすることを妨害したり、旧日本帝国の古参上等兵みたいにこれをいびったりすることはあってはならない。
若手活動家を批判するべき時は、彼等が二十年にわたる古参活動家の地道な努力の結果今日のわが同盟が切り拓かれてきたのだという歴史性を忘却し、すっかり有頂天になってしまい、わがもの顔でふるまって他をかえりみない現実におちいった時、そういった小ブルジョア性をいましめる必要性においてであり、若手活動家層が組織的観点をふまえて献身的・自己犠牲的に闘い抜かんとする限りにおいては、例えばその能力が自分たち古参と同等のものと考えられる場合は、むしろこれからの可能性に充ちた若手活動家を抜擢して仕事につかせる器量を、われわれは持たなければならないのである。
このことは必要に応じ、能力に応じての任務の按分をしか意味せず、党の最高の権限はすべて党大会に属するのであり、党員の資格は、献身的・自己犠性的にこの党を支え、この党に生きてきた活動歴十年以上のメンバーに限定されるものである。
つまり若手活動家の登用政策は、能力主義とか、ブルジョア的競争原理などといった歪曲された観点で理解されてはならず、わが戦旗・共産同の全体的活性化、誰もが自己を発現することができる自由な天地としての革命党創造の戦いの一環として理解されるべきものである。
むしろわれわれが注意を喚起すべきことは、ブルジョア会社や官庁と同じような年功序列の持ち回り的組織配置によって、能力のある若手が力を発揮することができず、頭打ちになっていき、ヘゲモニーを有する古手が自分のできることに合わせて組織を運営しようとすることからもたらされる保守化、村落共同体的な長老政治に、わが同盟がおちいってはならないことのほうであり、この点でのバランスある組織運営、組織政策の実践を是非とも確認しておきたい。
ともあれ以上の五点にわたる政治的組織的穫得目標のもと、八五年の勝利を何としてでも切り拓いていかねばならない。
一九八五年は激動の年である。と同時にわが同盟がサークルから党への飛躍を完了すべき最後の年となるべきものである。
いまやレーガン・中曽根の再選後の一月日米首脳会談を通じ、中米ニカラグアヘの侵略反革命戦争がいっきに強行されんとする情勢下、二月韓国総選挙をめぐる攻防において韓国民衆決起の一挙的爆発の気運も高まっている。
アメリカ帝国主義にあっては貿易収支の一千四百億ドルなどという赤字構造化、高金利政策の採用による各国資本の流人の増大によって、アメリカ帝国主義それ自体の債務国化が必然化される情勢が生み出されている。
米帝の没落の推進に対する帝国主義者共のまき返しこそ、核軍事力による世界征覇の保持以外にはなく、日帝中曽根はそこにおいて米核軍事力の全面受け入れ、カール・ビンソンやニュージャージーの横須賀母港化を強めつつ、独自の核軍事大国化への道をひたはしろうとして、軍事予算の突出をいそいでいる。また国内人民抑圧としての行革をおしすすめ、国鉄十万人合理化計画に見られる官公労労働運動の全面改編、全民労協化をもっての侵略反革命体制づくりをがむしやらに強行しているのである。
わが同盟はこの情勢下にあってこそ「安保-日韓体制打倒」「中米・フィリピン・韓国民衆決起連帯」「日帝の核軍事大国化阻止」の旗幟を鮮明にし、八・二八 二期着工宣言と全面対決しきる総員体制、内乱的決起の道を選択せねばならない。
まさしくゲリラ・パルチザン戦闘を広範な大衆的実力決起と結合しつつ打ち抜ききり、かつそれを支える党体制をつくり上げることこそが、われわれがなすべきことの骨格中の骨格である。
既に八五年決戦は開始された。八五年階級攻防をつうじわれわれは、必ずやこれまでを数倍する大衆運動的爆発をつくりあげ、われわれの党的プレゼンスを徴底拡大しぬく覚悟である。
全国の同志・友人諸君! 戦闘配置につけ。進軍は開始された。「北西風をこえる党」の精神で武装し、人民の戦旗の底力を発揮して前へ進もう。八五年をゲリラ・パルチザン戦闘の大爆発の年へ! 三里塚二期決戦を、あくまでも第二の三・二六をめざす闘いの実現をかけて戦取せよ! 犠牲をおそれるな、武装し闘う人民は必ず勝利する。わが戦旗・共産同こそが真のボリシェヴィキ勢力である。
最後の最後まで共に闘いぬき、党と人民の勝利を本八五年においても必ずおさめきろうではないか!
(一九八五年一月)