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”人権擁護法案”討論場(仮設)

大阪府警による民事介入弾圧についてのエントリーへのコメント欄において、しばしば「人権擁護法案」の話題が出てきます。

ネット上では主張の左右を問わずに反対意見が強く、左派だけではなく右派も頑強に反対しているのに国会では自公民が推進派で社共が反対派という不思議な構図。どうも国会への提出は延期されそうな雲行きですが、私はこれについては、マスコミで報道されている程度の表面的な知識しかないことを理由に、今までふれてきませんでした(ではふれている話題には深い知識があるのか?と問われると痛いわけだが)。
しかしこれだけ焦点として浮上してくるとスルーするわけにもいかんなあと。

そこでまずは皆様のご意見を伺おうという非常に他人に頼りきったエントリーをたててみるテスト。
あちこちのコメント欄や掲示板、メールでのご連絡で同法案に関するご意見が散在しているわけですが、よろしければあらためて、ここのコメント欄やトラックバックにて、皆様のご意見表明をぶらさげていただけましたらと思います。

1)このブログはネット上では私のようなゴミなど足元にもおよばない有名な方(とりわけ左派系)もチェックしていただいてるようですし、こういう問題に興味を持っている方も多くアクセスしておられるようですので、意見表明の場としてそれなりに意味があるかと。

2)同法案についてのサイトも多くあるわけですが、そこはその方の意見に基づくバイアスがかかった上で作成されているわけですが、そういう様々な意見やサイトが並列的に提示される場所というのも、これまたそれなりに意味があるかと。

ざっと見たところでは、この法案に問題があるという点では右派左派を問わないわけですが、その反応のポイントが少し違っているつーとこなんでしょうか?以下、少し感想というレベルで書いてみますと・・・。

●主として左派系の懸念

これは左派ちゅうか、わりと社民系(朝日・岩波路線)のセンスの方が強く持っておられる危機感だと思うのですが、いわゆる「メディア規制」の問題ですね。

たとえば「汚職政治家」の疑惑を追っかけて報道しようとした場合、まだ「疑惑」の段階で様々な状況証拠しかないとする。今までこういう時って、当該政治家の自宅や事務所前にマスコミ各社のカメラの放列などができたわけですが、もちろん道義的にはともかく、法律的にはまだ当該政治家は「無罪の推定」を受けているわけです。

ところがこういう特定政治家への粘り強い追求を、「つきまとい」だの「メディアスクラム」だのの「人権侵害」事例として、マスコミ(とりわけ朝日新聞)を恫喝・萎縮させ、あいまいな記事しか書けないようにしてまうのではないか。わざわざメディア規制条項を設け、どんなに世論から批判されても絶対にこれを法案から削除しない頑なな姿勢から見ると、この法案の最大の目的はメディア規制(政権の意にそわないマスコミへの弾圧)にこそあるんではないかと。

社民的センスな観点からは、その他の「人権保護」の条項はこの最大の目的を達成するための目くらましにすぎない。実際には誰が見ても酷いと思われるような、どこからも文句の出ない悪質な人権侵害事例に注意を促す程度のことしかなされないだろう・・・ということですね。

実際、メディア規制の条項は非常に詳細で、反復的つきまとい、待ち伏せ、見張り、押しかけなどのほかにも、電話、ファクスによる取材まで規制対象となります。今までの数々の汚職や失言でマスコミの批判の矢面に立たされた自民党議員の「何とかしろ!」という声が聞こえてきそうな条項です。
また、左派の懸念では、今回のNHKへの圧力の問題で、安部さんが朝日新聞を同法案に基づき告発するなどの事態も想定されているようです。

今回の与野党協議による修正で、世間的には最も問題視されているこの「メディア規制条項」は5年間の凍結期間をつけることで突破をはかろうとしています。あっさり削除すればもっと容易に法案は通過していたろうに、最大限の譲歩が「凍結期間」ですので、ここにこだわり続ける自民党の姿勢は、やはり注目に価します。

また、修正案では、5年間にマスコミが自主的に協議機関を設けるなどして、事態の改善をはかり、自主規制を行なうことを要求しており、その自主規制の状況を確認して5年後に凍結解除を検討するとしているようです。これはあきらかなマスコミへの恫喝・プレッシャーです。これでは「凍結」の意味がありません。

左派の中では社民・左翼を問わずにこのメディア規制条項を問題にしているようですが、社民系(社民党系という意味ではない)は人権保護規定部分への批判が弱いようにも思います。
左翼系はこの「人権保護規定」をも問題視しているようで、たとえば左派系のブログやサイト、掲示板が警告を受けるなどといったことも考えられています。とりわけ批判相手が有力な政治家で、批判しているのがアクセスの多い左派系サイトだった場合には、簡単に弾圧されてしまうのではという懸念があり、そうなると、今後は具体的な政治家名をあげての批判は「自粛」しなくてはいけなくなってしまいます。

●主として右派系の懸念

これは私が書くより、コメント欄やトラックバックで右派系の方に紹介していただけたらと思いますが、個人的に理解している範囲で書きます。間違っていたら訂正ください。

右派系の同法案反対派の方は、マスコミなど世間的に主として取り上げられている「メディア規制」には批判が弱いというか、従的な扱いという印象です。逆に右派は、主的には、社民系が「法案が正当であると見せかけるための目くらまし」と考える「人権保護規定」のほうに問題を感じておられるようです。

この規定の目的が「出生や国籍などを理由にした人権侵害」から市民を保護すると謳われている所から、たとえば自身らの在日朝鮮人や部落解放運動などへの批判、つまりこれらの「謀略・捏造」を批判する活動が、当の在日の人々やそれに同調する人々から摘発・弾圧されてしまうのではないかという危機感が背景にあるようです。

右派系の中のある人々にとって「謀略・捏造への批判」は差別や人権侵害ではなく、「正当な言論」であることが前提ですので、当然に論理的な帰結として、これは「表現の自由への侵害」に他なりません。まあ、実際にこの法案が成立したら、こういう「謀略・捏造」を主張するサイトなどをバシバシ摘発してやろうという人もいそうに思います。

これについて一言コメントするならば、実は私も右派系の疑念には一定の理解と共感を持つわけで、上記で分類した社民系のセンスとは一線を画するわけですが、それが何かしら「差別的言論の擁護(もしくは野放し)」につながってはいけないと思います。こういう主張をされる方は、誤解をさけるために文の最初か最後に「もちろん差別は許されない」と一言付け加えてあることがもちろん多いわけですが、まるで差別よりもそれを糾弾する行為のほうが問題であるという主張のような印象を持たれてしまうと、せっかくの批判の正当性そのものが崩れてしまいます。

また、人権擁護委員に「国籍条項」がないことを重大問題とする意見が多かったのも気になりました。
これは、この法案で作られる委員会やその権限に対する批判とはまったく別の問題として聞いて欲しいのですが、差別を考える場所で、「差別される側」の人間を迎えることは是非とも必要なことだと思います。在日差別を考えるなら、是非とも在日出身の(しかも反差別の立場の人)の意見は聞かなくてはなりません。

よほどあからさまな人種差別主義者でもない限り、差別した人間は、それが差別だと思っていないことが多いのです。「単なる区別だ」とか「事実を述べただけ」と考えているかもしれません。しかしその何気ない言動で、差別される側は生きる希望も失うくらい傷ついていることもあり得ます。女性差別やセクハラもそうですが、した側は「これくらいのことで」と思っていることが多いのではないでしょうか。

理想を言えばこういう問題を考える場には、差別される側出身の人間と、差別した側に比較的寛容な人間(差別した側が選任できるようにしてもよい)、そして差別問題に詳しい中立的専門家(弁護士や裁判官?)の3者で構成されるのが望ましいと思います。

私は「批判とは病を治し人を救うことでなくてはならない」(毛沢東)という言葉をいつも心の片隅にとめて文章を書くようにしています。もちろん差別された方が怒りをぶつけて「糾弾」する過程は避けて通れないのですが、「報復」だけでその後の「和解」がなければ、差別の根絶という観点からはまだ足りないとも思います(甘い?)。

●ネット上の「差別言論」にいかに対処すべきだろうか?

法案についてはいろいろなサイトや掲示板で議論されている所ですので、少し違った視点で私の問題意識(というか悩み)を提示したいと思います。つまり法案に反対した場合、では差別は野放しでよいのか?ということであり、リアルの世界のように差別者を特定することが難しいネットの世界ではとりわけそれが問題になると思います。いわば「法案に反対する私達の対案」はいかにあるべきかということです。これは私も悩んで結論が出ないところです。

たとえばネット上の匿名掲示板に便所の落書きのような差別文書を掲示していくような行為があるわけです。もちろんそんな、人の心を傷つけることだけを目的とした落書きは「言論」の名に値しません。言いかえるならば、何人も「他人の権利を侵害する権利」や「他人の自由を侵害する自由」など有さないということです。これは犯罪行為の処罰(=自由の侵害)が許される理由を考えれば小学生でもわかることであり、自由・人権思想の大原則です。

こういうエセ言論の削除は管理人の義務であり責任だと思います。なぜならそれを読んだ普通の人が不愉快に感じて傷ついたり、逆に差別意識を持つ人間が勇気づけられたりした時点で、書き込んだ輩の目的は達成されてしまうのですから、それを知りながら長期間放置すれば、それは管理人も同罪だからです。これは掲示板などを設置した人間の最低限の社会的責任だと思います。

この場合、何をもって差別や人権侵害とするのかという問題がありますが、それは原則として管理人の独善的な判断でかまわないし、削除した判断の根拠を説明する義務もないと思います。自分のサイトにどんな意見を掲示するかはサイト管理人の自由に属する領域です。だから逆に差別文書を削除しないという判断を下した場合には説明義務があると思います。それはそういう文書を引用して掲載した場合と同様のことであり、差別を行なった人間の側に立ってその代理人となる決断をしたに等しく、その差別文書が他人や社会に与える影響の責任を免れなくなるからです。

一方、削除された側から見ても、自分の意見(書き込み)が他の私人から拒否されるのは(とりわけ当該社会で一般的でない極端な主張の場合)よくあることで、それが公的な弾圧でない限りは、拒否したい人間の自由を尊重すべきです。その判断に不服があるなら、今度は自分がサイトや掲示板を開設してそこで主張すればすむことです。

ここから、今度は逆にそこの管理人が主張している内容に対しては、どんなに不服や怒りを感じたりしても、その主張をやめさせよう、潰してしまおう、口をふさいでやれという動きは、いかに些細なものでも許しがたいという結論になります。そしてこの結論からまた、掲示板への荒らし行為などはどんどん削除してかまわないという結論にループしていくのです。

私が2ちゃんねるルール(どんな書き込みも原則放置し、削除依頼があった時だけ例外として削除を検討する)に対して批判的なのは、こういう理由です。

ここで一番問題になるのは、サイト管理人の意図そのものが人権の侵害である場合です。いわゆる「ヘイトサイト」問題です。たとえば人種差別や国籍差別、部落差別などを煽る目的で開設されているようなサイトに、私達はいかなる態度と行動をとるべきか?もちろん、あまりにあからさまに他人の人権や、人間の尊厳を否定することを目的とした差別サイトの場合、もはやそれは「言論」とは認めがたいわけで、実際ほとんどのプロバイダーやレンタルサーバー業者の規約には、そのようなコンテンツを禁止する条項が入っています。
ただ、こういうヘイトサイトの管理人は「愉快犯」というより「確信犯」が多く、自分の差別行為を「正義の言論」と信じている場合が多いと思われます。この場合、それが単なる差別なのか、それとも特殊な主張にすぎないのかの線引きは、見る人の価値観に左右される領域もあるので、どうしても「グレーゾーン」が発生してしまい、やはり難しい。

インターネットが普及しだした初期の頃には、はたしてネットでは「何でもあり」なのか?という議論が国際的にもありました。これについてだいたい日米では何でもあり派が優勢で、欧州各国では「最低限の規制は必要」という意見が優勢(というか一般的)であったと記憶しています。

私は当時は「何でもあり派」に属しており、現在でも基本的にこの派に属しています。しかし当時の私が想定していたのは、たとえばアダルトサイトの「無修正画像」だとか、ハッカー系のアングラサイトのようなものでした。こういうものには近づかなければすむことであり、できるだけ「国家」というものの影響を排除し、ましてや警察のネットへの介入を許さないという立場からは、「何でもあり派」に属するという選択以外は考えられなかった。そこではヘイトサイトのような存在は想定されていなかったわけです。

現在の欧米では、ネオナチや極右の運営する人種差別や歴史修正主義のサイトを「児童への悪影響」という観点から閉鎖させる活動を行なう市民運動があるらしいです。もちろんサイトの管理者に抗議しても埒があかないでしょうが、上でもふれたプロバイダーやレンタルサーバー業者の規約などを使って業者に抗議行動を集中させれば比較的たやすいと思われます。いわば人権擁護法案に対して右派が抱いている懸念を、民間レベルで実現しているわけです。

この活動については私もテレビの海外ドキュメンタリーでちょっと見ただけです。確かイギリスの番組だったと思うのですが、こういうサイトの存在をアダルトサイトやネットストーカーと同列に論じていて、言論の自由云々という視点は全くありませんでした。欧米ではナチスやユダヤ人虐殺を肯定するような主張には厳しいということが背景にあると思います。

これに対抗してヘイトサイト側に自分でサーバーを運営する者、つまりヘイトサイト専用の「自前のプロバイダー」を開業する人間が現れ、その傘下には200以上のヘイトサイトが開設されているというレポートでした。こうなるともう、それこそ人権擁護法案のようなものがない限りは手出しができないし、逆に言えば人権擁護法案のようなものが出来れば、こういうプロバイダーそのものを国が潰してしまうことも可能だということです。

日本では「黒人を殺せ」的なあからさまな人種差別などのサイトはあまり考えられないとは思います。そのかわりに日本独特の現象として、「2ちゃんねる」でそれに近いような書き込みが多く散見されるという状況であると思われます。

さて、とりとめもなく問題意識だけを羅列してまいりました。
今のところ私はネット上では「何でもあり派」に踏みとどまっており、人権擁護法案にも反対で、国家や警察の介入などとんでもないと思っています。その一方で、どんな右派であろうとも肯定できないような、あからさまで愉快犯的な人権侵害事例については、削除・閉鎖されることに問題は感じません。それは右派の方も同意いただけると思います。

その一方で、確信犯やグレーゾーン、および「あからさまな差別」ですら削除を拒否する2ちゃんねるルールに対する立ち位置で揺れているという所です。基本的には相手の言論の自由を尊重しつつ、対抗言論で包囲していくということだと思うのですが、差別に対してだけは、差別された方の生存権すら奪いかねない深刻なものであるだけに、単なる「主張の違い」ですませられるのか?と悩むところなのです。さらに「2ちゃんねるルール掲示板」については、万が一、あまりと言えばあまりにも酷すぎる差別文書を削除しない管理人がいた場合、掲示板自体の閉鎖も止む得ないのか否かについても確答ができない。。。そんなところです。

●サイト内リンク

”人権擁護法案”討論場
人権擁護法案その2-差別被害者の救済とは
人権擁護法案その3-コメントへの反応
また大阪府警か!(民事介入弾圧)
民事介入弾圧続報


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コメントを見る (16)

  • TBありがとうございます。
    私の立ち位置からのお話はTB返しさせていただいたエントリに記述ございます。つまりは実際に「受けている側」からのレスポンスになっているかと思います。
    この病気は多くの患者の場合、発作そのものの悩みよりも『精神病である』『遺伝である』という偏見のために(少なくとも私の場合、そのような要素はない、と医師が確認しています)社会参加にあたってひどいときになると人間扱いしてもらえないこともあります。
    ただ、どうしても差別というものは"それをすることの不当性"を理解してもらわなければなくならないと思います。『処罰でなくすこと』に反対です。出来るだけ双方の間に(私はそれが司法での扱いになることを望みますが)仲介者が立って、「和解」を前提に話し合う仕組みが出来ることを強く望みます。少なくとも、『された側がどれほどの傷を負ったかを理解する』に及んでいただけることがないと、"処罰をしても"別の形でその人は同じ行為をするでしょうから。禁止用語を作れば、別の形の隠語が発達して、もっと巧妙・陰険にならないでしょうか?

    それでも「相互理解」が成り立たない場合には、名誉毀損・侮辱などの現行法でお話をつけるのが相当であるというのが私個人の考えです。「人権」を考えるに当たっては、仁慈というものを抜かしては考えられないでしょう。

    まとまらない乱文、失礼をいたしました。

  • 以前TBさせていただいて以来、楽しく読ませて頂いています。僕はこの人権擁護法案に関して、まだ明確な意見を持ち合わせていません。保守系の人の意見も革新系の人の意見もそれなりに納得できるのですが、だからといって今のままで何もしなくていいとは、全く思いません。皆の良心に任せられればよいのかもしれませんが、残念ながら僕はそれほどお人よしではありません。
    マスメディアによる被害者への人権無視的な過剰取材は目に余ります。一方、ネット上の差別的発言にも反吐が出そうな時があります。僕は何らかの形で両方とも規制しなければいけないのでは、とも思います。今の人権法案にはいろいろと問題点もあるようですが、やはりマスメディア・ネット上の言論ともに何らかの規制はしょうがないと考えます。表現の自由とは言いたい放題ではなく、節度を伴った規範の中での自由ではないでしょうか?学校生活・社会生活における自由、その他すべての自由と同じように。表現の自由だけが例外とは僕には思えません。つらつらと好きなことを書いてしまいました。今後も楽しみに読ませていただきます。

  • 刑罰を設けることで人間の業を超克させることができるかという本質的な問題だと思います。

    ただこれだけモラルが破壊された社会では、犯罪行為に対する権力行使という抑止力、反撃力で暫定的な解決をするしかないと思います。

    では民間の差別、人権侵害に対して、権力行使まで必要とするか?というと、疑問です。民間の言葉の暴力には、民間の言葉の反撃で抑止するべきだと思います。
    それが本質的な人間力育成につながると思います。

    PS草加さんのサイト第三者のスパイウェアが添付されてるかもしれません。
    アクセス中にウイルスガードが遮断されます。
    私の接続情報が盗まれるのは、こうしたガードソフトが停止した後発生します。
    接続ログを盗まれているとしか考えられない不思議な現象が私のサイトで多発しています。
    エシュロンシステム日本政府に導入済みです。ご用心を!

  • 20日までは、私はちょっと運動関連が忙しくてまとまったコメントできないかもしれませんが、ちょっと一言だけ。
    私は心情的には、酷い差別的言論、また陰謀史観的書物の氾濫には許し難い感情を持ち、規制を求める気持ちがあります。これははっきり言っておきます。
    これはネット上の発言に対してではない。むしろ、少し大きめの書店に行けば必ず存在するユダヤ陰謀論の本や妖しげなオカルト陰謀論の本です。サイトどころか、こういう出版物が平然と売られて読まれているのが現実ですよ。

    ただし、一方では感情ではなく理性として、私はありとあらゆる言論表現は権利と自由を与えられるしかないと思います。あとは読者の意識を高めることとしかないです。

    フランスやドイツでは、文学作品として価値があっても、反ユダヤ文献とかが一時は出版できなかったようですね。私は国益や社会秩序の観点からはこういう姿勢を一定限度評価します。ただし、やはりこれはいけないんですよ。「間違った思想が抑圧される世の中は、正しい思想もいつか抑圧される」と思い、いかなる言論であれその自由を認め、同時に、言論者の責任を以下に守らせるかを考えていくしかないでしょうね。

  • 人権擁護法の問題ってのは、憲法12条後半部分の「国民はこれを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」の部分を国民が怠った場合、政府としてそして社会としてどのようにアプローチすれば良いのかという事に、だれも解決策を見出せない事にあるのではないでしょうか。

  •  人権擁護法案については、提出された法案とはかけ離れた理解を前提に反対運動が盛り上がっているようです。

     この法案は、差別的言動を行った人を逮捕したり処罰したりしようとするものではありません。特定の者に対し差別的言動を行って侮辱したり、事業者等が人種等を理由に差別的な取扱いを行ったりということがあったときに、間に立って関係を調整したり、調停・仲裁をしたり、是正勧告をおこなったり、せいぜい勧告が受け入れなかった際に勧告内容を公表するのが限度です。アニメ等で差別用語を使ったって、それはこの法案の対象外です。

     また、そのような措置を講ずる前提として、調査活動を行うだけのことです。立入調査ができることが問題とされていますが、警察や国税局による捜索差押えと異なり、物理的に抵抗を排除する権限も能力も人権委員会には与えられません。理由なく立ち会いを拒んだときに科料の制裁があるだけです。

  • 今回の小倉さんと同じような説明をどこかで聞いたなあと思ったら、暴力団規制法の時だった。記憶があいまいだけど、確か「法律の構造上、行政法規であって、刑事罰ではない」みたいなことだったかな。
    差別の問題では「糾弾」→「和解」というプロセスが一番重要だと思うのですが、小倉さんの説明ではこの法律はこれに資すると?
    では「反復的つきまとい、待ち伏せ、見張り、押しかけ」などを具体的に中止させる力はこの法律にはないということですか。(法案をもっと読み込まんといかんなあ)

  • トラックバック有り難うございます。

    原案の最大の問題点は反日勢力の道具にされる危険性が高いと言える事です。只でさえ反日勢力はマスコミを
    押さえていて保守側(左翼の方は体制側と呼ぶ
    ようですが)の反論を余り許さず、反政府側の声ばかり高いのが実情であります。これでかような法律
    が通ったら反日勢力が人権委員会とやらに送るのは目に見えており国民の言論の自由が脅かされ、日本の
    民主主義を根底から覆される恐れすら有り、特高警察の復活を思わせる言論弾圧社会になる恐れすら
    あります。以上が私のこの人権擁護法案に対する認識です。

  • 小倉秀夫氏の最大の問題点
    >この法案は、差別的言動を行った人を逮捕したり処罰したりしようとするものではありません。
    処罰されなくても例えばプロバイダーに対して非差別側の団体(同和団体や民族団体、極左団体など)
    をの圧力を容易に許す法律と言えます。只でさえ、かの団体はマスコミに対し暴力的な圧力さえ加え
    (この点に関しては保守系月刊誌であるWill編集長の花田紀凱氏らが「証言」されてます)
    保守の意見が抑制され、全般的に左偏向しているのが実情で非常にアンバランスなのが特徴で
    あります。特に「韓流」に関しては実態が殆ど無く、韓国マスコミでさえ「韓流終焉」を報じている
    のにも関わらず日本のマスコミはあたかも韓流が未だにあるかのような報道をしているのが実情と
    言うほどです。つまり、この法律を許せば反日勢力の日本介入を容易にさせ日本国民の権利が
    著しく侵害され、国家国民の存亡に関わる問題になる恐れすらあります。
    国家が変化するのは兎に角として国民の権利を侵害されたらたまったものではありません!
    特にblogの死活問題で有るため、この法案に反対します。

  • 人権委員会が行えるのは、基本的に、調査、調整、調停、仲裁、勧告、勧告内容の公表どまりです(調査に協力しなかった場合に過料の制裁はありますが、これは差別行為自体を対象とするものではありません。)。

    例外的に、差別助長行為等については人権委員会が差止請求訴訟を提起することが認められていますが、差別的言動や、報道機関による「反復的つきまとい、待ち伏せ、見張り、押しかけ」については認められていません。

    それだって、人権委員会がなし得るのは、訴訟を提起することまでであって、実際に差別助長行為を差し止めるべきか否かは裁判所が判断をすることです。