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2018.03.25 三里塚管制塔占拠闘争40年 今こそ新たな世直しを! 3.25集会

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■ 日 時:2018年3月25日(日)午前11時
■ 会 場:連合会館2階大会議室(御茶ノ水駅)
■ 集 会:第1部 映画「三里塚のイカロス」上映
      第2部 現地から報告、発言、他
      第3部 懇親会(希望者のみ)
■ 主催・三里塚芝山連合空港反対同盟(柳川秀夫代表世話人)/元管制塔被告団
※以下、写真クリックで拡大。

第一部・映画「三里塚のイカロス」上映。ドキュメンタリーとしては良質のおすすめなのですが、同時代を生きた人間にはちょっと重い内容……
第二部が本集会
集会タイトル横断幕
司会は元プロ青同の管制塔戦士、中川さん
集会風景
通路にまで椅子を追加しても、まだ立ち見が出る
なんか前に変なのがいる(笑)
レッドモールの皆さんの物販。ほとんどコミケのノリ
物販メニュー。在庫ありますのでご希望方はお知らせください。
レッドモールの皆さんの物販。他のブースが真面目な本やパンフばかりなので異色。
ゲバラTシャツ
物販グッズ・ヘルメット用シール
ヘルメット用シールはこのようにして使います
集会風景
集会風景
三里塚勝手連はレッドモールの皆さんとご一緒しました
三里塚勝手連はレッドモールの皆さんとご一緒しました
ビラ・パンフ置き場
ビラ・パンフ置き場
みんなが当時や管制塔カンパ闘争のデコレーションなどを持ち寄ってました
現地から反対同盟旗と横断幕
半世紀の風雪を感じさせる三里塚反対同盟旗
鎌田慧さん挨拶
鎌田慧さん「死んでいった仲間の魂を引き継いで生きていく
管制塔占拠闘争時の横堀要塞の写真ですね
壇上に揃った元被告(管制塔戦士)の皆さん
元被告の皆さんからの一言挨拶
映画「三里塚のイカロス」制作会社のインフォメーション
三里塚と共に生きた加瀬勉さんの新刊。貴重な証言です。
占拠闘争翌日の新聞一面(朝日)
占拠闘争翌日の新聞一面(日経)
占拠闘争翌日の新聞(英字新聞2紙)
占拠闘争翌日の新聞
占拠闘争翌日の新聞(読売)
占拠闘争翌日の新聞一面(東京タイムス)
共労党機関紙「統一」
共労党機関紙「統一」
管制塔闘争の勝利にブチ切れの産経新聞www
共産党は管制塔闘争にお怒りのようです(笑)
三里塚勝手連で記念撮影
デコレーション前でポーズする私(すまん!)
占拠闘争シンボル
当時の臨時ニュースや特別番組の映像を見ながら、第三部の交流会の準備を待つ。
交流会風景
交流会風景
第三部・交流会には80名ほどが参加
会館の食堂から仕出しを頼みました
交流会風景
当時は小学生だった農民の御子息が駆けつけてくださいました
三里塚闘争のポストカード
交流会風景・マイクを回します
交流会風景
集会ではやらなかったけど、交流会での最後はインターナショナル斉唱

集会と映画のチラシ
  

空港突入40年の集いにむけて
三里塚芝山連合空港反対同盟代表世話人 柳川秀夫

 世直しの旗が翻ったのは駒井野の強制代執行であった。まさに戦争状態でむかえた代執行。世直しの闘いを宣言することで百姓も誇りを持って闘うことができた。
 百姓は畑に種をまくと、訪れる豊かな稔りを迎えるために手入れを惜しまず汗を流す。山の木の手入れ等、何十年も次の世代の為続ける。
闘いも途中で決してあきらめず根気よく闘い続けてきた。作物を育てるのと似たようなものだ。
 新しい年を迎える度、又今年も頑張れば来年は勝てると年寄りが話し会っていたのを今も覚えている。作物も今年だめでも来年があるように。
 しかし、百姓では出来ないこともあった。今日ではボランティアとかになってしまったが、多くの人達の助けが求められた強行開港阻止という難題。それは果断に生命、人生を代価に3月26日に行われた。
 重くて背負いきれない程の快挙であり、大義の春であった,
 40年目に何を思えば良いのか,三里塚では世直しはいくさと密接でもあったが。時が移り世の中の在り方を見直すことへと重みが増している。
 今あの日に帰って夢は色褪せてないか。さらに輝いているか確かめるのも大切なのかも。世直しの新たな旗が翻るために。 (2017.11.7)

「3・26」の闘いを継承し、新たな世直しへ
元管制塔被告団 中川憲一

 1978年3月、時の福田赳夫自民党政権は成田開港を国家の威信をかけた最重要課題と位置づけ、力ずくで3・30開港を図ってきました。1966年閣議決定から、機動隊の暴力を前面に出した国家の土地取り上げと闘ってきた三里塚の農民と支援は、この非道に真っ向から立ち向かいました。
 1年を超えた開港阻止決戦の正念場となった3月26日。「空港包囲・突入・占拠」を掲げて菱田小跡に結集した三里塚闘争に連帯する会、労調委などの仲間は、横堀要塞の闘いと連動して空港へ突入。
 前日25日夜から下水溝に進入していた私たち管制塔部隊は、26日午後1時、9ゲート・8ゲートからの空港突入に呼応して、マンホールから飛び出して管制塔に駆け上がり、管制室を占拠しました。
 時の政権の道理を無視した3・30開港を人民のパワーが阻止したのです。この闘いは、60年代の反戦・全共闘の闘いから70年代連赤・内ゲバという後退とは違う闘いのあり方を示しました。管制塔の闘いは海外の運動にもインパクトを与えたと聞いています。
 その後も2005年には皆さんの協力による一億円カンパ運動によって、管制塔被告は政府による賠償強制執行をはね返すことができました。
 いま法も道理も無視した安倍政治が憲法改悪を目指し、沖縄では基地建設反対の闘いが続いています。成田空港でも住民を無視した夜間発着時間拡大、第三滑走路の計画が出されています。
 このような中で迎える管制塔占拠闘争40年。40年集会を開催したいと思います。
 「3・26」40年にあたり、民衆の闘いの歴史を貶め消そうとする体制に対抗して「3・26」を語り継ぐととともに、40年前の闘いをもう一度見直し、その原点を再発見・再定立していきたい。この集会が旧交を温めると共に、78年を知らない人々と共に、その今日的意味を考えるきっかけになれば幸いです。
 全国の皆さんの集会への参加と賛同を呼びかけます。

日本人民の希望と未来の赤旗
三里塚大地共有委員会代表 加瀬勉

 開港阻止決戦・空港包囲・突入・占拠。三里塚空港にディエンビエンフーの戦いを。空港を包囲し突入し、亀井・三井警備局長率いる警視庁精鋭部隊を粉砕し、管制塔に突入占拠し赤旗を翻した。開港を阻止し、ディエンビエンフーの戦いを三里塚闘争で実現させたのである。三里塚で「警視庁敗れたり」と秦野警視総監に言わしめたのである。
 管制塔戦士たちが打ち振る赤旗の血潮の燃え滾る鮮やかさは我々の前途を指し示すものであったが、また権力の容赦ない弾圧でもあった。新山君が原君が犠牲になって斃れていった。囚われた管制塔戦士達は冷たい鉄格子、獄中の深い闇、家族の苦難の生活。10年余の歳月。三里塚闘争のさらなる前進と勝利を、日本の夜明けを信じて戦い抜いた。俺たちは万難を排して獄中にいる管制塔戦士に連帯したのか。したと言い切れるのか。問い続ける40年であった。
 その問いに一人一人が答える時代が到来してきた。戦争政策遂行、改憲内閣、ファシストの安倍内閣の4度の成立、「三里塚空港機能拡大・夜間飛行制限緩和・空港用地700ha拡大・新滑走路の建設・50万回増便」の10年計画の新たなる攻撃がかかってきた。戦いの思想を魂を管制塔戦士の行動を規範に共に競いあい磨きあってゆこうではないか。団結して前へ。

「三里塚のイカロス」映画公式サイト(第72回毎日映画コンクール・ドキュメンタリー部門賞受賞)

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