元活動家のつぶやき

千の風になって 活動家Sさんの遺書に思う

BUND.ORGに、3年も前に亡くなられた活動家Sさんの遺書が突然に掲載されました。Sさんは90年の皇居糞尿ゲリラ戦士でもあります。唐突な公開に何の説明もありませんが、2ちゃんねるでSさんが亡くなったこと、死因が自殺であることなどが今さらのように大々的に取り上げられ、私を含めてそのことを知らなかった元活動家の間ではショックが走っていました。

反弾圧

法政大弾圧抗議!第二回関西オフ会

先日はそういった人々と共に、第二回関西オフ会を開催しました。昨年10月の第一回もそうでしたが、まだまだこの国の人々も捨てたもんじゃない、こんな素晴らしい人々がまだいるではないか、反撃の萌芽とチャンスはまだまだあると確信でき、おおきな元気をもらいました。本当はこの挿絵の通り(?)もっと明るく報告しようと思っていたんですが、さすがにこの現状では、つい暗い出だしなってしまいました。先に書いたような課題も山積みしていますが、もうすでに時期を逸しそうなので、是非、みなさんにも知っていただきたく、ここにご報告いたします。

○○は「なかった」論について

hiroさんは、小泉さん的な比喩で申しますと「構造改革の痛みに耐えて頑張ろう」ではなくて、そもそも「痛みなんて存在しないのだ」もしくは「痛みの原因は構造改革ではなく、痛みを感じるような奴の自己責任である」というような論旨だったわけであります。私の恥を、わざわざこうして公開する気になりましたのは、hiroさんの紹介される「新理論」に、「ついにここまできたか」という感慨をもったからであります。

三里塚闘争

戦旗・共産同「規約」の思い出(三里塚3・8分裂のことなど)

戦旗・共産同の規約をここに収録したのですが、以下にその規約を読み返してみて思うこととか、思い出話などを書こうと思いました。ところが書いているうちにいつのまにか後半「三里塚話」になってしまいました。まあとりとめもないエントリーになってしまいましたが、これこそ「思い出話」ゆえの主題なき支離滅裂さと思ってお許しあれ。

西部邁(映画「レフト・アローン」より

西部邁さんの「変節」に思うー同じ人間がいるだけ

西部さんは共産主義者同盟(ブント)の代表的なアジテーターとして「政治の世界」に登場した人です。私も政治的な運動に入ったのは、ブント系の一員としてですから、いわば西部さんは(冗談ではなく)私の先輩にあたる人なわけです。現役活動家時代には、こういう人のことはさっぱり理解できなかったし、もともと自己に拘泥する極端な個人主義者が、思想的に脆弱だった結果ではないかとか思っていたわけです。