写真集】主権者の怒り―60年安保闘争の記録
■ ダウンロード一覧に戻る 時代の証言を収録した貴重な写真集 主権者の怒り―60年安保闘争の記録 編集:日本ジャーナリスト会議1960年8月15日発行 「六月十五日夜、若ものたちの群れのなかにいて、わたしは、『子供の徴...
■ ダウンロード一覧に戻る 時代の証言を収録した貴重な写真集 主権者の怒り―60年安保闘争の記録 編集:日本ジャーナリスト会議1960年8月15日発行 「六月十五日夜、若ものたちの群れのなかにいて、わたしは、『子供の徴...
役場の火事については町の人はなにもいわなくなった、阪井猛太は助役をやめてせがれの巌と共に川越の方へうつった。 チビ公はやはり一日も休まずに豆腐を売りまわった、それでも一家のまずしさは以前とかわりがなかった、かれは毎日…
■ 懐古的資料室目次 > 軍事政治論一覧 中核派本多暴力論批判/緒方哲生 『戦争論・暴力論の革命的復権』(1985年8月25日「理論戦線」19号)より一部抜粋 本多延嘉著『戦争と革命の基本問題』の位置 これまで、...
豆腐屋のチビ公はいまたんぼのあぜを伝ってつぎの町へ急ぎつつある。さわやかな春の朝日が森をはなれて黄金の光の雨を緑の麦畑に、黄色な菜畑に、げんげさくくれないの田に降らす、あぜの草は夜露からめざめて軽やかに頭を上げる、すみれは薄紫の扉(と)を開き、たんぽ…
◇懐古的資料室の目次にもどる 60年安保闘争年表 1958年 9月11日藤山外相、ワシントンでダレス米国務長官と会談。安保条約改定交渉開始の共同声明 10月4日東京で安保改定交渉の会談はじまる 10月13日警職法反対国民...
活動家マニュアル目次にもどる < 懐古的資料室目次にもどる 1.はじめに わが戦旗・共産同の党の武装への本格的着手とゲリラ・パルチザン戦闘、大衆的実力闘争の果敢な展開は、その対極に「組織破防法の先取り」とも言うべき権力...
活動家マニュアル目次にもどる < 懐古的資料室目次にもどる 不当逮捕への基本的対処 はじめに 本稿においては党の武装の強化の一環として、強まる破防法弾圧の下、不可避ともいえる不当逮捕に際し、これに屈せず、勝利していくた...
活動家マニュアル目次にもどる < 懐古的資料室目次にもどる 機関紙活動の意義と任務 一、全国政治新聞の意義 1)宣伝・煽動・組織者 「新聞は集団的宣伝者および集団的煽動者であるだけでなく、また集団的組織者である」という...
□懐古的資料室トップに戻る □反戦動画集のトップに戻る 一体コスモポリタンという言葉の正確な意義はどういうのだろう。私にはまずこの疑問が起こった。そこで『井上英和辞典』を引いて見みると、こうある。 名詞=四海を家とす...
運動の高揚の中でこそ読みたい一文 今日は、昨年の611新宿の騒ぎに関して思い出した、暴力に関する論文を紹介したいと思います。 もともと新左翼潮流の間では、暴力論について種々の考察がなされており、一般に「否定の否定の論...
■ 1ページ目にもどる > 戦旗派内部組織総括一覧 五.革命運動における牧歌的概念の克服 わが同盟が今日巨大な前進をとげるに至ったのは、83年三・八分裂以降極めて短時間のうちに革命党として必要な武装化の問題に着手...
□ 反戦動画集のトップにもどる 頭脳警察の「戦争しか知らない子供たち」は、当時大ヒットした「戦争を知らない子供たち」へのアンサーソングである。というか、言ってしまえば他愛もない替え歌ではあるのだが、元歌のヒットと、それ...
□ 反戦動画集トップにもどる ↑「世界革命戦争宣言」~「銃を取れ!」のメドレーと、主催者(学友会)の挨拶とシュプレヒコール。 ↑「赤軍兵士の詩」~「暗闇の人生」メドレー 頭脳警察は1969年に結成されたパンクロ...
■ 戦旗派写真集の目次 < 懐古的資料室トップ ※新しく発掘したものがあれば補充していきます※写真の説明文は当時の機関紙などにつけられていたものです※写真クリックで拡大します 1986年の主な出来事・ニュースフィリピンの...
活動家マニュアル目次にもどる < 懐古的資料室目次にもどる 不当弾圧―逮捕攻撃といかに闘うか はじめに 9-10月成田用水辺田・中郷決戦を突破口に、わが戦旗派革命勢力は全党うって一丸となって二期実力阻止に決起しぬく決意...
成田空港管制塔占拠事件とは、成田空港の当初の開港予定日の4日前の1978年3 月26日に起きた、空港反対派農民を支援する新左翼党派によるゲリラ活動および実力闘争である。この事件により、成田空港の開港が2ヶ月遅れる…
Bund Web Site(現在は消滅)2003-7-25付記事より転載 7月8日、三里塚芝山連合空港反対同盟旧熱田派世話人の石井武さんが、耳下腺ガンのため亡くなった。享年79歳。13日成田市の八富成田斎場で行われた告...
■ 1ページ目にもどる > 戦旗派内部組織総括一覧 五、八六年階級闘争の政治的獲得目標 以上述べてきた政治的組織的な総括点をふまえて、次に八六年階級闘争の闘い方につき、ガイストとなるべきことをまとめたい。 まずわれわ...
■ 1ページ目にもどる > 戦旗派内部組織総括一覧 六、党派闘争に勝ちぬくには (1)再度ここでは八三年以降の党派闘争の波にさらされることによってわれわれは鍛えられ、力をつよめてきたことをおさえねばならない。 またそこ...
■ダウンロード一覧に戻る ↓ 各画像をクリックでダウンロード 2009.11.8沖縄県民大会号外2009年11月8日発行琉球新報沖縄タイムス 米軍普天間飛行場の県内移設反対を日米両政府に示す「辺野古への新基地建設と県内...
重信房子さんが逮捕された後のアラブ世界の反応は「戦士・重信」と新聞やマスコミ全てが報道しているという事です。その意味をもう少し日本側が考える必要があるのではないか。彼女はイスラエルの侵略戦争に対するアラブ側の抵抗戦争に従軍していたので…
5.思想としてのスターリン主義は近代ブルジヨア・イデオロギーを克服していない これまで述べてきたこと(前編・中編)をつうじてスターリン主義はブルジョア・イデオロギーとも、プロレタリア・イデオロギーとも異なる第三の範躊に...
2.スターリン主義批判の原点としてふまえられるべき諸点~スターリン主義批判の系譜 3.ロシア1920-30年代歴史過程とそこにおいてふまえられるべき視点 4.スターリン主義の本質規定をめぐる問題
1979年12月アフガニスタン革命へのテコ入れとしてなされた、ソ連軍の軍事的侵攻は、今全世界に巨大な波紋をなげかけた。ホメイニ派学生達によるイラン米大使館占拠に苦慮し、中東における権益の確保に血眼となっていた米帝は、これさいわいと商業ジャーナリズムの一切を使ってのソ連批判にのりだし、反ソ包囲網の形成をつうじての巻き返しを策謀し、日帝支配階級はその尻馬にのっかってリムパック(環太平洋合同軍事演習)への参加-自衛隊の事実上の海外派兵を実現した
現代ファシズム論序説- 目次 > 懐古的資料室のトップにもどる 結語にかえて しかし、こと「ファシズム研究」に目を移してみるならば、われわれは未だもってなお漸くこの入口にこぎつけたにすぎぬ己れの姿を素直に認めざるをえな...
■ 1ページ目にもどる < 左翼的発想の研究一覧 < 懐古的資料室目次 四、帝国主義間戦争が必然化していった歴史的な過程 以上のような金融資本の形成とその再生産構造の確立は、資本の過熱→資本の輸出を必然化し...
■ 1ページ目にもどる ■ 懐古的資料室目次 > 左翼的発想の研究一覧 5. 賃金における価値法則 もちろん労働力商品と、その価格である賃金も、その例外ではない。というよりは、すでにみたように労働力商品の売買を基...
□1ページ目にもどる < □ブントスレ保存倉庫にもどる 906 :革命的名無しさん:04/12/06 00:25:13 懐かしいネタを一つ。 戦旗の人間って語尾に必ず、「~って言うサ。そういう。」と付けなかった? これ粗...
□1ページ目にもどる < □ブントスレ保存倉庫にもどる 401 :名無しさん@3周年:04/09/28 23:40:40 >>396さん 393だが、気持ちのいい奴だな。あなたは。 労共闘の誰かを思い出...
□1ページ目にもどる < □ブントスレ保存倉庫にもどる 950 :名無しさん@3周年:04/08/05 21:01 オレは、渋谷ハチ公前で署名活動してた時、一水会の人(もう名前忘れっちまったけど) に署名してもらったこと...
□1ページ目にもどる < □ブントスレ保存倉庫にもどる 393 :名無しさん@3周年:04/06/15 20:25 今日も仕事お疲れさん。 80年代の元活で出世した奴はどこまでいったんだろう。 スマソ、M原は除いて。 3...
懐古的資料室の一環として、「ブントスレ保管庫」をオープンさせました。 某巨大掲示板群の共産板において数年間にわたって続き、現在も一応は残っている同スレのうち、今のところ、2003年分と2004年分だけ完成しています※...
□1ページ目にもどる < ブントスレ保存倉庫にもどる 853 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/05/13 19:17 ところでインターと戦旗は仲良かったのか? プロ青とインターほどではなかったにしろ。それでもイ...
□1ページ目にもどる < ブントスレ保存倉庫にもどる 404 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/13 20:05 宮台真司が松原グループにいたというのは、ホント? 松原氏はいまどうしておられるのか? 私は彼...
異例の超長期スレッドとして2ch共産板の名物スレとなった「ブント(戦旗)スレ」。運動の歴史化という意味で貴重な内容も多く、その点を考慮して、当サイトにおいても資料の一環としてここに保存します
■ 1ページ目にもどる > 戦旗派内部組織総括一覧 六、わが同盟を「反革命」規定する中核派の誤り 八五年を文字通り決戦として闘い抜くにあたって、わが同盟が八四年秋冬期の闘いから捉え返しておくべき点は、以上のようなもので...
■ 1ページ目にもどる > 戦旗派内部組織総括一覧 五、八〇年代主流派としてのわが同盟の任務 以上八四年3・25三里塚闘争の組織化をめぐる政治攻防、6・17反トマ闘争における諸問題、7・1反対同盟文書への反論、反トマを...
■ 1ページ目にもどる > 戦旗派内部組織総括一覧 五、第四インターの無党派市民運動としての反戦反核闘争論の誤り 八四年政治過程を切り拓くにあたっての核心が、社共の全くの闘争放棄―例えば総評黒川が「反原発」を闘争課題と...
□ 懐古的資料室 解 説 由紀子さんの会員日記に触発される形で、当時の資料を掲載保存しておきます。同日記に触れられている「担架で運ばれた学生」は、その後、右目の摘出・失明となります。そのことを思い出しましたので。 よ...
六 柔かい雨曇りだった。――前の日まで降っていた。それが上りかけた頃だった。曇った空と同じ色の雨が、これもやはり曇った空と同じ色の海に、時々和(なご)やかな円るい波紋を落していた。 午(ひる)過ぎ、駆逐艦がやって来...