武装を内包する革命党Ⅰ 戦旗派83年上期総括

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二、対日帝実力闘争路線の展開で内ゲバ党派を逆規定せよ!

中核ヘルメット ところでこの三~五月の攻防過程においてわれわれは幾度となく「党の飛躍」、「新たな領域への突入」といったことを語ってきたのであるが、それが政治的には如何なる対象化において貫徹されるべきものなのかが明らかにされねばならない。
 「軍事展開力を有した党への飛躍」がどのような政治的対象化にもとづきなされるのかは、まさに死活的問題であり、文字通り革命党としての本質性の一切がかかる基本命題であるといわねばならない。ここで問われることは理論の卓抜性ではなく、実践的な政治展開の在り方の妥当性であり、「政治が軍事を規定する」等というスローガン的言辞を、それ自体お題目的に繰り返していれば間題が片付くことなのではない。軍事武装闘争が常に「武器をもってする政治の継続」でありつづけるためには、理論を実践に適用し、応用することが間われるのであり、主体が身につけるべき観点は「適用の論理」=理論の主体化である。教科書的教条の暗記のみでは実践の役にはたたないのである。

 この点でまだわれわれは全体的レベルにおいて稚拙な面を多々残しており、革共同両派などには不断に手玉にとられてしまう政治的甘さを残しつづけていることを認めないわけにはいかない。こと政治展開という面についていえば、われわれはせいぜい作風を政治技術的に論じることをもって政治を論じていると錯覚してしまうような小児病的対象化のレベルを全体的にこえでてているとはいえないのであり、別な言い方をすればわれわれの政治の継続のためには、そうした未熟さの継続を内包せざるえない位置性の下に未だあるということなのである。

 しかしこれは否定的なことなのではない。つまりわれわれはカクマルの如き謀略論の構築をもって、プロットによって政治展開をなすことなど全くなしえず、又それを正義とも思わないということであり、もっと単純明快に人民の正義に立脚して闘い抜くことが勝利への道である。破防法弾圧に抗し、ゲリラ・パルチザン戦闘を内包する闘争展開の保障のためには、より一層それは求められるのであり、武装闘争への構造的踏み切りが、今までとは似ても似つかないような複雑怪奇な世界にわれわれが入り込んでいくことを意味するのであってはならないのである。

 ここで問われるべきことは、われわれが猛烈な伸張を繰り広げてきた80~82年の政治の継続を如何にしてなしていくのかであり、その根拠の分析が完全に主体化されていくことが必要である。

 それは最も基軸的には第一には、安保-日韓体制打倒という左翼総体にとって戦略的基本間題となる政治路線を正面きってかかげ、その全人民的政治闘争としての領導をめざし闘いぬいてきた本質性にもとづく問題である。
 社共が政治闘争の領導を全く放棄し、議会内政党として議席獲得にのみ奔走し、もはや日帝国家権力を打倒しうる政治勢力とはとてもいえない地平にまで落ち込んでいるという認識は、今では全労働者階級人民に共通のものとなりつつある。そこにおいて七〇年安保闘争を領導し階級闘争の高揚を主体的に担い切った革共同中核派がカクマルとの内ゲバに没入し、政治的には三里塚闘争を一切の基軸にすえきることで実際上はまったく安保-日韓闘争をネグレクトしている現実が存在しているのである。われわれはこの階級的現実下にあって、微力ではあっても全力を尽くし原則的な全人民的政治闘争として反安保闘争を組織しぬこうとしてきたのであり、そこにわれわれの政治的位置が確定されたのである。もっとも原則的な大義を振りかざしての政治的組織化と運動の領導というこの位置性がまずもっておさえられなければならない。

 第二には、それをわれわれは、82年5・23反戦反核東京集会や10・24大阪行動と結合させ、全人民の大衆的決起と結合しうるあらゆる形態において追求してきた点である。
 革命党と革命勢力としての単独闘争も辞さない心構えを根底としつつ、実践的には不断に共闘関係の豊富化をかちとり、闘争の全人民的広がりをつくりあげる地平を求めることによって、われわれは闘い抜いてきたのである。三里塚闘争勢力-「連帯する会」-「労働情報」といった系列に依拠しただけでなく、更にそれを押し広げる枠組みで闘うことを求めることによって、全国住民闘争や総評型大衆闘争(例えば82年11・14闘争)とも結合することが可能となり、われわれの政治的広がりは一層妥当性を有したものとなったのである。スタテイックな運動的硬直化に落ち入らずフレキシビリテイを持ち続けた意義としてこれはつかまれねばならない。

 第三には、その場合でも革命党と革命勢力としての登場を保持しつづけようとし、地域住民運動に形態的に流されることを拒絶し、前衛党としての政治勢力の構築をめざし闘い続けてきたことである。
 78年3・26管制塔占拠や5・20開港阻止決戦を主力的に担った第四インターなどは、われわれと全く逆の「各地城、学園、職場へ!」といった79年的方向に拘泥することにより、結局われわれの七九年問題と同じような陥穽にどっぷりとつかりきってしまっているのであるが、それは結局彼等が第四インターナショナルの歴史的系譜としてのパブロ派の加入戦術と労働組合主義を総括しきれず、レーニン主義的な地区党構造を骨格とした単独党建設の革命的意義をつかみえないで、大衆の陰にもぐり込むことのみを画策してきたことの否定的結果である。78年的政治展開を「二十年に一度の出来事」としてしか捉えられない彼等に対し、われわれは革命党としての闘いの継続において優位にたったのであり、前衛党建設の基本形態と経済主義・組合主義の否定における勝利をみなくてはならない。

 第四には、これらの展開を基本骨格とするなかで、あくまでも日帝国家権力との対決性を基軸におき、分派闘争や党派闘争を第二義的な位置にすえきることによって人民の信頼をかちえてきたことである。
 如何にカクマルが反革命であり、アダチグループが倭小な敵対分子であるといっても、それはわれわれにとってのことであり、客観的な全人民の観点においてそうだということにはならない。その点でわれわれは政治的に内ゲバ主義を排してきたのであり、メンツやプライドにだけこだわって政治を左右するようなことは、党的理性をもって回避しつづけてきたのである。その展開の継続性においてわれわれは中核派との内ゲバ事態に突入することも回避したのであり、ここに示されるものはわれわれの政治的弱さではなく強さである。第二次ブント崩壊の経験に学んだ意義としてこれはふまえられるべきことである。

 要するにこれらの政治展開と方向性のキープにおいてわれわれは独自の政治的位置を占めることに成功し、第二次ブントの政治的廃墟の中から不死鳥のように甦り今日の地歩を築きあげてきたのだ。日帝国家権力との攻防に打ち克つ陣形の構築、破防法弾圧に抗しぬける党の飛躍は、ゆえにここでつちかわれてきた政治性の保持を至上命題とするということであり、そもそもいきなりまるで別個の主体になれ、政治的世界に移行せよと要請しても、各主体がそれを担い切ることなどできるわけもないのである。

 つまりは革命運動のスターリン主義的歪曲を克服する政治性、イデオロギー性を保持しぬき、党の官僚的変質や戦役主義の跋扈を許さず、ましてや党的ヒステリーに落ち込むことは絶対に避けることを通じてのみ、われわれがゲリラ・パルチザン戦闘の遂行能力を主体的に取り込んでいくことは可能なのであり、それが勝利をもたらす要因である。この点での思い違いというか、カラ騒ぎは排除されねぱならず、半公然や非公然闘争を内包するからといって、公然闘争の基軸性とそこでの大衆動員の勝利がないがしるにされては絶対にならず、そうした場合には革命党と革命勢力としての全的発展はありえないのである。

 第五にこれを組織建設と闘争展開の方向性として対象化するならば、次のようなことが言えるわけである。
 まず党の軍事力の形成ということから言えば、全党的レベルアップが問われるのであり、労共闘・社学同・阻止連が半公然闘争を防衛しきれる質で構築されることが基本間題である。少数の党の「正規軍」を作り、その闘いを大衆戦線が防衛するということではなく、各地区党の組織メンバーが戦争に自己を動員しきることができ、闘争を全体的大衆闘争のレベとして引き上げていくことが核心なのである。
 われわれはかっての関地区RG部隊のようなものはつくらず、どんな闘争もあくまでも地区党構造を骨格として実現しぬく方向をとらねばならない。小数の「正規軍」の質ではなく、もっと全体的な全人民武装と民兵の質を問題とすることにより階級攻防に打ち克つこと、それがわれわれのゲリラ・パルチザン戦闘遂行の内的核心である。

 その点についてはわれわれは現存する他の如何なる党派よりも多くの教訓を70年代初期の武装闘争の遂行においてつかみとっており、主体化しているといえるであって、たとえ内ゲバを闘う場合でも全党・全軍の総力的課題としてこれを貫徹することが確認されるべきことである。
 軍事部門の確立などはそれ自体レーニン主義党建設の前提をなすことであり、決してこの方向と抵触する位置にたつ事柄なのではない。もちろん情況に応じては様々なプロジェクトチームを組むこともあるわけであるが、だからといってそれを「正規軍」等と言うことはできず、党の基本骨格が軍事主義的に、軍隊的に改組されることによって勝利がもたらされるわけでは決してないことがおさえられねばならない。
 ということは闘争展開的にいえば、われわれは大衆的実力闘争の全体的な武装闘争的発展、全人民的蜂起への道をめざすということであり、特殊部隊のゲリラ戦の遂行をもって党的武装闘争に置き換えるという現在の中核派のような闘い方は否定されるべき方向以外ではない。

 ゲリラ・パルチザン戦闘の遂行は、全人民的政治闘争の一環として、大衆的実力闘争を豊富化する鮮明な政治目的の下貫徹されるべき位置にあり、大衆的実力闘争が日帝国家権力の封じ込めによって貫徹しぬけず、行き詰まった状況にある時、これを突破し豊協化する戦術形態として発展させられていくべきものである。現在の日本における蹄級攻防の状況下にあっては、都市ゲリラ戦術はこうした枠組に規定された時、はじめて効力を発揮するのであり、発展の道を持つのである。
 日帝国家権力との直接的な権力闘争、武装蜂起に突入しているのだとは決していえない現在の局面にあっては全人民的な政治闘争の領導をつうじた階級闘争全体の覚醒と、人民の革命勢力への組織化が基軸をなす闘いなのであり、そこにおいては情勢全般の戦略的領導こそがめざされねばならない主要課題である。

 中核派はその先制的内戦戦略、「現代戦争テーゼ」において、対カクマル戦の貫徹を蜂起戦(=権力闘争の一環)ととらえ、その大爆発が日帝権力との攻防に打ち克つ道である等と把握しているわけであるが、それは全く主観主義以外ではなく、事実十年間の対カクマル戦争の継続をもっても主体的に日帝国家権力を追いつめることにつながった等とは全くいえないのである。
 われわれがかかげる独自の戦争の論理は、より普遍的妥当性をもった「政治の論理」の継続としてあるものでなければならず、そこでは以上述べてきたような常識性の存在こそがカギとなること、これを是非とも確認しなけれぱならない。

 総じてわれわれは、新たな領域への突入をめざすからといって、これまでの政治展開との断絶性においてそれをなしえると考えてはならず、逆にその継続性の追求のうちにこそ核心を求めつづげねばならないのである。組織生活の左翼性と主体の革命的方向での形成さえなされ続けているならば、どんなバリエーションをもっての闘争展開も戦術の駆使も全く可能なことであり、絶対に権力はわれわれを撃沈し、粉砕することはできないのである。問われていることは日帝との攻防に勝利する道であり、内ゲバに勝つことが一切を規定するなどということでは断じてないのだ。

 「三つの原則四つの規範」に示される政治展開の方向性こそは、それ自体毛沢東の持久戦論の考え方に学んだ軍事武装闘争遂行の論理であることが今こそ想起されねばならない。
 われわれがこうした闘い方を継承することが勝利的方向であると断言するのは、60年代後期の安保闘争、ベトナム反戦闘争、全国学園闘争などの経験を経、70年代初期の武装闘争に全面的に突入した貴重な経験の蓄積、その主体化においてつかみとった確信にもとづくからである。われわれは勝ち進みもしたが、幾多の敗北もきっしたのであり、73年6月アダチ分派問題の発生が70年代初期軍事武装闘争遂行上の陥穽から生じたものであったことをかんがみても、そこで蓄積された貴重な経験は絶対に生かされるべき教訓である。その総括をここでくわしく論じるわけにはいかないが、問題はやはりわれわれが如何にして政治的に勝利しぬげるのか、武装闘争を内包しつつ組織の発展強化と党勢の拡大をなしうるのかにかかっているのであり、組織飛躍・党的展望の拡大と結合しない武装闘争の自己目的化や軍隊づくりは、結局は自已満足的な結果しかもたらさないものであることを全党・全軍の共通の認識にしておかなければならない。

 この点でわれわれはレーニンが1906年「モスクワ蜂起の教訓」を執筆するに及んでなお「プロレタリアートの党はパルチザン戦闘を唯一の闘争手段、あるいは主要な闘争手段とさえみなすことはけっしてできない—この闘争手段は他のいろいろな闘争手段に従属していなければならず、もろもろの主要な闘争手段とつりあっていなければならず、社会主義の啓蒙し、組織化する影響力によって純化されていなければならない」と繰り返し述べていることを学ばねばならないのである。レーニンはパルチザン戦闘の肯定においてこう書いているのであり、その骨子は「運動を解体させるのはパルチザン行動ではなくて、パルチザン行動を掌握することのできない党の弱さである」という点にあるのだ。
 われわれに問われることはパルチザン戦闘を内包しつつもなお闘争を全体的に発展させる政治の継続性ということであり、その根っ子となるものは結局「政治の主体化」、党組織における闘争指導能力の完全な主体的獲得に求められるのである。

 以上から結論づけられることとして、わが同盟は内ゲバ党派との一対一的攻防に入るのではなく、対日帝実力闘争のゲリラ・パルチザン戦闘をも内包させた高揚の道を切り拓き、それをもって内ゲバ党派を逆規定する関係性を創出するべく闘いぬくということだ。全人民的政治闘争の実力闘争としての発展の激化の中に内ゲバ党派との攻防をも逆規定させ、そこで勝利の道を切り拓いていかねばならない。それがわが同盟が志向し追求すべき基本路線であり、戦旗・共産同の現下の武装闘争路線の骨格をなす考え方である。これを是非とも意志統一したい。

 83年8月ニュージャージー寄港、トマホーク配備阻止闘争は、こうした対象化に基づき闘いぬかれるべき全人民的政治闘争であり、8・8パイプライン供用開始粉砕戦との結合において、全党全軍の死力をつくした闘いを遂行しぬこうではないか。

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