「障害児」の選択的堕胎が発覚…「在特会」や反原発論議にもつながる問題点

 mixi日記からの逆輸入です。知り合いで論評している方は少なかったのですが、私は大変に強いショックを受けたニュースです。mixiからの転載にあたっては私の法的無知による誤解などを訂正しましたが、まだ誤っている部分がありましたらコメント欄などでご指摘いただければ幸いです。

事件の概要(マスコミ報道)

異常胎児選んで減胎手術36件
2013年8月5日07時02分 読売新聞

 出産の危険が高まる双子や三つ子などの多胎児を妊娠した際、胎児の数を減らす減胎手術の実施を公表しているSクリニックで、異常が見つかった胎児を選んで手術を行ったケースが、これまでに36件あることがわかった。…中略… 母体保護法は減胎手術について定めておらず、国も具体的な指針を作っていないが、こうしたケースが初めて明らかになったことで、今後、議論を呼びそうだ。

  同クリニックによると、…中略… いずれも、夫婦が「減胎できなければ、すべての胎児を中絶する」との意向を示したという。今回の減胎手術について、N院長は「一人でも命を助けるために、やむを得ず行った」としている。

◆減胎手術=多胎妊娠となった場合に、母子の安全性を高めるための処置として始まった。超音波で確認しながら、子宮内で一部の胎児を心停止させる。通常、胎児の異常がほとんどわからない妊娠初期(12週未満)に行われる。

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なぜ?同じテーマのはずなのに賛否が逆転

 まず、以下の3つの問題に「命の大切さ」というキーワードを使って100字程度で答えてみてほしい。

1)あなた死刑制度に賛成ですか?反対ですか?
2)あなたは妊娠中絶に賛成ですか?反対ですか?
3)あなたは障碍者を生まれる前に間引くことに賛成ですか?反対ですか?

熊本・こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)
赤ちゃんポスト

 これ全部に賛成か反対なら首尾一貫すると思う。最後に『4)「赤ちゃんポスト」に賛成ですか?反対ですか?』をつけ加えてもいいかもしれない。どちらを選んでも何らかの立論は可能なのだろう。だからこそ議論にもなっているのだと思う

 だが、今回の記事やmixi上におけるその反応などを眺めていて、私はもう少し別に気になる点があった。それは妊娠中絶や「赤ちゃんポスト」などの問題には「命の大切さ」や「親の責任」とか言って、mixiでは反対の投稿が多いのに、今回の障碍児の選択的減胎については賛否が逆転し、賛成の意見が日記に並んでいることだった。
 その賛成の理由として書かれていることは、親の負担や育てることの大変さなど、ほとんどが通常の妊娠中絶や「赤ちゃんポスト」に賛成する理由にも流用できてしまうものが多い。同じ人が書いているわけでないんだろうが、その対比がなんとも嫌な、おぞましい感じをうけたのだ。

 人の命に関する問題は、いずれも一般論としてならいろいろ立論できるが、自分や身内が当事者であるわけでもない時に、他人がとやかく言うには(とりわけ当事者を責める場合)大変に微妙な問題があると思う。

 たとえば死刑にしたって、被害者でも遺族でもない赤の他人の自分が、己の二束三文の安い正義感を満足させたいがために、「殺してしまえ!」と叫んで正義の味方面するようなことは慎まねばと思っている。「殺せ!」と言っていいのは被害者と遺族だけだ。私が言えるとしたら、ただ「制度」としての是非を、感情論を排して厳粛に論じることが許されるだけだと思う。今回のことについても同じだ。そのことに注意して以下で考えてみたい。

「障碍児なら堕胎しても仕方ない」論の無自覚性

 第一に、今回は胎児に障碍が出やすい多胎妊娠での選択的減胎ということだが、もし、これを認めたら、通常妊娠でも胎児検査(羊水診断)で障碍が見つかったら堕胎を認めていく流れになるだろう。今回の事例の是非を論じる際には、それを前提に考える必要があるという点だ。

 多くの障碍が早い段階で(親が望めば)どんどん発見できるようになった。他にも脳死、遺伝子操作、代理母など、医学の進歩でかつては考えられなかった生命倫理の問題がいくつも浮上している。

 羊水診断で子に障碍が見つかったことによる堕胎という事例は、アメリカでの報道しか見た記憶がないけれども、日本でも通常の中絶手術の中には、表面化しないところでそういう事例もあるのではないだろうか(というか確実にあるだろう)。今回は多胎妊娠で母体に危険があったということもあり、はじめてそれが表面化した事例なんだろうと思っている。

 だからこれは単純な母体保護の問題でないことは明らかで、つまり「生まれてくる子供が障害者であることを理由に堕胎してもいいのか?それを認めた場合の社会への影響をどう考えるか?」という問題として考察されるべきだ。

 まず、「たった数時間から数日、ただ苦しんですぐに死ぬために生まれてくる」ことが確実に予想される事例なら、堕胎という選択にも反対する人は少ないと思う。それでも反対する人はいるし、そう思うことを否定はできないけれども、私は夫として父として、妻や子に「それでもとりあえず産め(生まれてくれ)」とは苦しくて言えない。まして他人に強要できない。だが、これは障碍児の問題というより、むしろ死が確実な者への延命治療の是非と同じ問題ではないだろうか。

 こういう極度に重篤な事例を援用して、だから障碍児の堕胎は許されるべきだとする日記もあった。では、この人はごく軽度な障碍でも同じことが言えるのだろうか?その場合、どの程度なら認めるのだろうか?その線引きはどうするのか?いくら考え方は人それぞれだとは言っても、命の選別という難しい問題に、あまりに無自覚すぎないか?

 たとえばサリドマイド薬害でみられたように、腕が通常より短く生まれる(それ以外は通常)という場合は?他に血友病患者や無痛症なども、外見上は他の子と全く変わらないが育てるのは並みの苦労ではない。その時に親が「そんな子はいらない」と言ったら無制限に堕胎を認めるべき?特に「障碍児の選択的減胎」に賛成だという人は時間のある時にでもゆっくり考えてみてほしいと思う。

障碍者やその親への偏見を助長し、福祉制度への攻撃を誘発する危険性

 第二に、「胎児のうちに検査で障碍が発見されたら堕胎する」ということが、ごく普通に行われるようになった世の中において、ダウン症などの人がどんな目で見られるのかという心配がある。その社会的影響力は福祉概念を塗り替えるほどメガトン級だ。

 たとえば世間には10歳まで生きられないだろうという難病の子を育てている人もいる。今は「たまたま障碍をもって生まれただけ」という目で、そこに福祉制度があり多額の税金が投入されようと、それを批判する人のほうが特殊である。

 だが、もし胎児のうちに調べて障碍を発見することが標準になり、多くの親が堕胎を選ぶようになったら(すでにそうなりつつあると思う)、それでも福祉制度は当然だということになるのだろうか?昨今の生活保護バッシングなどの風潮を見ると不安でならない。

 そんなの大げさで杞憂だという人もいるだろうが、実際に作家の大西赤人さん(遺伝病である血友病患者)に対して、渡部昇一氏(上智大学教授・当時)による「劣悪な遺伝子を持つものは自発的に断種すること」が「神聖なる義務」だという、大西さん個人を名指しで批難する文章を『週刊文春』がそのまま掲載し、批判や論争が繰り広げられたことがあった(「神聖な義務」事件)。

 ところが、血友病患者を「劣悪な遺伝子の持ち主」と罵り、障碍者の断種を「義務」といってのけた渡部氏は、教授職を追われなかったばかりか、『週刊文春』も含めて社会的制裁はほとんど受けなかったのである。佐野眞一氏と『週刊朝日』による橋下徹氏批判記事(「ハシシタ・奴の本性」事件)と比べてもこれは異常である。

 つまり、こういう戦前からの国家主義に基づく優生思想(=障碍者は生まれるべきでない)という考え方は社会的な底流として今もあり、信じられないことだが 渡部氏のように社会的地位や影響力の高い人々の中にも、それを差別だとすら思わない人間が現に少なからずいるからこその顛末だったろう。

 私が中絶には反対論が多いのに、障害児の選択的堕胎には賛成論が多くなることに不安や嫌悪感を持つのはこの点である。障碍者の団体などは胎児検査には懸念や反対を示すことが通常だが、こういった経緯を見るならば、障碍者の不安も充分に理由のあることなのだ。

福祉法制の原則との矛盾-優生思想の復活

 第三に、福祉法制の基本理念との矛盾がある。
 法体系には「これを崩したら全体が瓦解する」というような基本理念が存在する場合がある。わかりやすい例で言えば「故意と過失以外では責任を問われない」という近代刑法の大原則がある。江戸時代の封建法は「因果応報主義」で、「その人のせいでそうなった」ら罰がくだされた。だが近代では「結果を認識しながらわざと(故意)、もしくは不注意で(過失)やってしまった行為」以外は責任を問われなくなり、そのおかげで私たちは安心して暮らせるわけだ。重度の精神障碍者が刑罰の対象にならないのはこの大原則のためである。

 では福祉法制でそれは何かといえば、私はノーマライゼーションだと思う。これは表層的にはバリアフリーなど「障碍者も共に暮らせる社会」といった文脈で使われることが多い概念だけれども、その根本にある考え方は、人の価値は平等であって、働けるとか国や会社の役に立つとか、そういうこととは関係なく、人が人として生きているということそのものに価値があるという考えであり、それ以上のことは他人が、ましてや国家が法制度などで決めるようなことではないということだ。私は法制度としてはこういう考え方でいいと思うし、「人間の価値」を国家が決めるなどはもってのほかだと思う。

ナチスドイツを例にして断種法制定の必要性を説く当時の新聞

 そもそも日本を含む先進国の福祉政策で「国家は人の価値を平等にあつかうべき」という考えが主流になるのは、それ以前に、ナチスに代表される優生思想の経験があったからだ。

 ナチスの断種法は「優秀なる民族」を増やすためのもので、健常な母体を保護する反面、障碍者などは文字通り強制的に断種や「安楽死」させられた。他にも、うつ病などの精神病者、てんかん患者、ハンセン病患者、同性愛者、ユダヤ人など次々と標的が拡大していった。

 さらにナチス政権下ではドイツ人とユダヤ人の婚姻や性交渉そのものが犯罪を構成した(ドイツ人の血と名誉を守るための法律」通称ニュルンベルク法)。「在特会」の掲示板では「日本民族に朝鮮人の血を混ぜるな!」と叫んでいる輩がいたが、それとほぼ同じ発想である。

 日本の優生保護法(現在は「母体保護法」と改名)はエントリ巻末の資料でも明らかな通り、このナチスの断種法をモデルに制定されたものだ。つまり「産めよ殖やせよお国のために」という、女性の妊娠・出産・母体保護などの政策や家族政策は、国家主義的な観点から行われるべきだという考えであり、そこでは妊娠中絶や避妊を社会悪とみなす女性蔑視(子産み機械化)の思想と、障碍者などはそこから排除されて当然という差別思想が表裏一体となっている。現在の母体保護法に削除された条文が異様に多いのはそのなごりなのである。

 いずれにせよ、この心底おぞましい経験から、現代では「国や民族の役にたつ優秀な子は保護し、そうでない『劣等』な子は生まれなくてよい」という優生思想およびそれとつながりかねないすべての思想は、人種差別思想と同根のイデオロギー(科学ではなく)であり、人間の尊厳を否定するものとして、激しく嫌悪されるようになっていったのは当然である。

 ノーマライゼーションは現時点におけるその一つの到達点になっていると私は思う。今回の事例を考える際にも、そういった苦い歴史を忘れてはならない。だが、多くの掲示板で、こういう歴史性をふまえた議論がなされていないのは暗然たる思いがする。
 なぜなら、言うまでもないことだが、障碍を持った子をそれを理由に堕胎してもよいという考えは、こういう福祉法制の原則に真っ向から反する考え方だからである。

 もちろん、すでに生まれて人権を享有する障碍児を対象とした福祉法制と、まだ生まれていない胎児(法的には母体の一部)に関連して、女性(母体)を保護するための母体保護法制は、一応は理念を別にする独立した法体系ではある。だが、「障碍者の断種は義務」と言ってのけた渡部昇一氏のイデオロギーや、戦後も生き残った日本の旧優生保護法などを見ればわかるとおり、両者が地続きであって、講学上の議論としてはともかく、一般社会的な実態としてはわけて考えることができないのも事実だ。

 mixi日記で「どこが悪いの?問題ないじゃん」とか能天気なことを書いている人がいたが、そこまで言いきってしまったらナチス時代や戦前の日本への逆戻りでしかない。賛否どちらにせよ、そんなに簡単に割り切れるような問題ではないのに……。

ナチス時代の優生学・断種法のポスター

 さらに「自然界では障碍者の因子は淘汰されるのが通常だが人間社会では……」などと、それがどんなに多くの人を精神的にも現実的にも傷つける言葉かも考えず、気楽に書いている人も多かった。
 そういう進化論の「適者生前」の学説を、社会政策に持ち込んで説明しようとする立場は「社会ダーウィニズム」と呼ばれるイデオロギーで、戦前に猛威をふるった。優生思想や人種差別、はては貧富の差さえ「科学的に」正当化するものとして使用されたが、現在ではさんざんに否定されているものだ(「自己責任論」は形を変えたこれの現代バージョンかもしれないが)。

 ことは障碍者のノーマライゼーションの原則と女性(母体)保護の原則の二つの法制度設計の問題にまたがり、また、胎児の人格をどこまで認めるのかなどの複雑な問題に答えてからでないと結論は出ない。

 何度も言うことだが、特に胎児の問題について、「胎児なんて人間じゃないんだから、親の判断で堕胎しても問題ない」と言うと、反発する人のほうが多いのに、障碍者のみを選択的に堕胎することには「問題ない」とする人のほうが多いことが非常に不安なのだ。本来は矛盾するはずの意見なのに、なぜ賛否が逆転してまうのだろう?それを矛盾しないと言うのなら、それは本質的に優生思想とナチス時代への逆戻りであり、ノーマライゼーション(=障碍者福祉)への否定でしかない。

「在特会」現象とも地続きで考えるべき問題点

 こういった、問題をよく考えない安易な意見が増えてくるのは、生活保護バッシングや「在特会」現象、さらに死刑問題の際にすぐに「殺せ!吊るせ!」と叫ぶ声などと、極めて親和性が高いのではと私が危惧するのは杞憂ではないだろう。
 もっと言うのなら、たとえば「原発反対」などの社会運動でさえ、よほど気をつけないとこういった安易な世相というか「時代の風」に迎合したり浸食されたりしかねない(されている)のではないだろうか?

 社会運動に限らず、あらゆる場面や課題や現場で、どうすればこういう「時代の風」に逆らって「共生の風」を吹かし、打ち立て、それらの課題が結局は一つの問題であることを理解してもらい、人々に選択を求めるような内容を総体として作っていくことができるのだろう。

 だが実際には、私たちはその前提となる「連帯」がすっかり苦手となり、数合わせのような「運動」や、相手を黙らせることばかりにたけた「議論」ばかりになってしまっているのが昨今の現状ではなかろうか。

 今回の問題についても、はたして将来的にことは胎児だけの問題ですむのだろうか?それは社会全体が向かっている(向かうべき)方向が、この分野で顔を出しているだけのことではないのか?原発推進派の思想もそうだし、ゆえに一つの分野だけで根本的に「解決」するようなものではないだろう。そうやって個別の課題で「差別だとかうるさい奴らに文句を言われないように」表面的な責任回避と先送りや利益誘導を繰り返してきた結果が、今の日本社会ではないのか。

 どんな運動や意見にせよ、ただの「賛成・反対」だけでなく、今の社会に迎合せず抗しうるだけの、もう一つの豊かな内容を私たちは持っていると言えるか?少なくともそのために日夜考え、建設的な議論を続けているのだと胸をはって言えるだろうか?それが今の私の率直な不安なのだ。反原発にせよ差別の問題にせよ、他の課題に取り組む際にもよくよく考えておかねば、運動の意義そのものが足元から瓦解することだと思う。

生命倫理に関する問題-人はどこまで生命を操作していいのか

 四点目に、近未来というか、生命科学の倫理に関する問題だ。
 たとえばお金さえ積めば、生まれてくる子供の遺伝子を操作することが可能になるかもしれない。いや、おそらく確実にそういう時代がくるだろう。

 遺伝病の治療などがこういった研究の効能として謳われている。それ以上のこと(「優秀な子」を産む)が許可されることはないと信じたいが、障碍児を選択的に堕胎することを「問題ない」と考える人がいる以上、それと同じ地平で「優秀な子」を産むことが「問題ない」と考えたり、それを望む親が増えてくることは予想される。どこか一国が「解禁」すれば、なだれ的に広まる可能性が高いので、早い段階で国際協定により禁止してしまう必要があるけれど、そんなことがいつまで持つかわからない。

 子供の才能さえ金次第の世の中がくるかもしれないが、私がもっと危惧するのは、そのような時代には、たとえば容姿や頭脳などが極めて凡庸かそれ以下だということが、生まれる前にわかってしまうくらいに医学が発展してしまうのではないか、そして「こんなブサイクな子はいらない。本人も苦労するだろうし」みたいな動機で堕胎を行うことが、親によってはでてくるのではないかということ。もちろん当初ははっきりとそんなことは言わず、何か別の理由を言い訳とすることになるだろうが。

 そんなことは現状ではまだ杞憂なんだろうけど、胎児の障碍を調べて堕胎することに何の悩みも葛藤もなく「どこが悪いの?当然だ」と言い放つ感性からここまでは、ほんの一歩の距離である。多胎で母子に危険があるからという理由で、どうせならイケメンと美女だけ残し、凡庸な順に堕胎してしまうとか、そんなことがおこるかもしれない。

目指すべき方向性は…?

 最後に「ではどのような方向性が望ましいだろう?」ということなのだが、妊娠や出産という個人領域に、他人が(まして国家が)特定の価値観で安易な口を突っ込み、あれこれ指図すべきではないという前提に立つのであれば、制度や政策的な議論に限定ということになる。

 その場合はまず最終的にめざすべき「理想論」を策定することからはじめるしかないと思う。つまりどういう方向に進んでいくべきかということを、行き当たりばったりではなく、制度と思想の両面から前もってしっかりと考えておくべきで、そこから現状を省みてはじめるしかないと思う。

私の考える理想論は以下のようなものである。

  • 1)そもそも障碍者が差別も嫌悪も邪魔者あつかいもされず普通に暮らせる社会(ノーマライゼーション=すべての基本)
  • 2)障碍児の親が金銭的にも肉体的にも負担のかからない、通常の児童と同じくらいの苦労で子育てができるレベルの福祉制度
  • 3)育児は私的個人生活ではなく社会的に必要な労働であるという認識を個人・地域・国家のレベルで持つこと
  • 4)それらを前提とした上で、妊娠や出産などについては他人や社会がいかなる強制もしない。堕胎を道徳悪とも考えない、「産む産まないは女が決める」という原則を共有すること。

 ざっと素人なりに思いつく範囲ではせいぜいこんなものだ。これは介護の問題も同じことで、金銭的・肉体的な負担が限界を超えない通常レベルのものであれば、自分の親を看取るのが、そこまで「嫌だ!苦痛だ!」というだけの人は、そんなに多くないのではないかと私は思う。他にもあるだろうか。あれば教えてほしい。もちろん理想論としてでかまわないというか、今はそれが必要であると思う。

常に「迷い」を持ち、考え続けることの大切さ

赤ちゃん・フリー素材屋Hoshino

 ただ、特定の理想論(思想的正義)が暴力的な押し付けにならないよう、個々の事例を丁寧に見て、常に修正しながら進むことが必要だと思う。
 単純な「正解」や「正義」に飛びつくことは危険だし、それだといつでも人間の尊厳を踏みにじる暴力的な押し付けに転化してしまうことは、スターリン主義の歴史が嫌というほど証明しているからだ。私たちはこの点についても敏感すぎるくらい敏感でなくてはならない

 なんだかんだ言っても、私も子供が産まれるときは、どんな子供でもいいと思ったが、やはり元気で産まれてほしいと願ったものだった。産まれるまでは不安もあるもので、やはり私もまだそこまで人間が大きくないし、隠れた偏見もあるのだと思う。
 エントリ巻末に選択的減胎手術を受けた親達のインタビュー記事を引用した。これを読んで、もし私がこの親達と同じ立場に立たされたとしたら、同じ決断をしたかもしれないと思ったことをここに正直に告白し、批判についてはあまんじて受ける。

 ただ、それでも言い訳が許されるなら、子供の健康を願う素朴な気持ちと、障碍児は産まれてもらっても困るという偏見は全然別物であると思う(まして国家主義的なそれ)。

 親の素朴な願いや苦しみを、障碍児の選択的堕胎を肯定する論拠に利用したりするのであれば、それは遺族の悲しみを制度としての死刑賛美に利用したり、あるいは北朝鮮や中国で人権侵害にさらされている人々の苦しみを、左翼(と自分が認定した部分)の平和運動叩きに悪用しようとする偽善者どもと同じくらいに許せないと思うのだ。

追記】同時にその裏返しの逆バージョンというか、たとえば北朝鮮や中国の人権侵害を批判したり、韓国政府の対応を批判(もしくは単に支持しない)ことなどをもって、「右翼だ!」「おまえなんか左翼じゃない!」くらいならまだしも「草加は朝鮮人民を踏みにじる敵だ」みたいなことまで言う人がいることにも辟易している。
 巻末のインタビューにある親達の声にも、これを「差別者だ!」と一刀両断することはたやすいし、それが必ずしも間違っているとは思わない。だがそこに何の悩みも葛藤もなく、ただ決まった公式を現実にあてはめ、思想の刃物で人をなでぎるだけなら、少なくとも実存において「在特会」のメンタリティとどこが違うのかと思う。(そしてその両方から叩かれて味方のいない私(ノД`))
【追記ここまで

 私は自分の親からさえ「異常なレベル」と心配されるくらいの子供好き(自分の子に限らず)だ。いわゆる子供のいない人生なんて考えられない類の人だが、それでもし、あの時に医者から産まれてくる子供が障碍児だと聞かされたとしたら、それはもちろんすごく悩んだと思う。その悩みの大部分はやはりお金と体力、そして時間と仕事のことだったろう。あと、自分が死んだあとの子供の将来の心配とか世間の偏見とか。もしそういうのがすべて解決されているならば、私は比較的容易に運命を受け入れることもできたと思う。

 やはり「金と体力」の問題はとても大きくて重い。特に金だ。さんざん言われていることだけど、少子高齢化の中で、「家族」にすべてを負担する能力は、現実問題として失われているのだから。

障碍児を減胎した親たちへのインタビュー記事から

「この道しか」減胎手術、苦渋の選択…自責も
2013年8月5日 読売新聞

 「自分を責めたが、この道しかなかった」――。
 Sクリニックで、異常が見つかった胎児を選んで減胎する手術を受けた夫婦3組が、読売新聞の取材に応じ、苦渋の決断をした胸中を語った。一方、ダウン症の子どもの家族からは「障害を受け入れない社会にも問題の背景がある」との声が聞かれた。

 「2人とも産むか中絶するか、なるべく早く決めてください」2010年夏、中部地方の主婦(39)は、おなかの中の双子の羊水検査の結果を聞いた。
 結婚3年目、体外受精で待望の妊娠だった。だが、妊娠10週の超音波検査で、1人に染色体異常の疑いがあると言われ、羊水検査を勧められた。結果は、ダウン症。10歳上の夫と話し合った。主婦は、ダウン症のいとこがおり、おじおばが愛情を注ぎながらも、苦労する姿を見てきた。
 「将来、私たち夫婦が亡くなったら、同時に生まれてきた兄弟に大きな負担をかけてしまう」 病院で中絶手術の日程を予約したが、「年齢的にも最後かも」と思うと簡単にはあきらめられなかった。Sクリニックのことを知り、減胎手術を受けた。
 11年春、女児を出産した。亡くなった胎児は、火葬し、故郷のお墓に入れた。 墓参りのたび、「ここに妹がねんねしているよ」と、家族で手を合わせる。「目の前にいる娘を救えた意味を深くかみしめている」

 関東地方の主婦(31)は10年末、排卵誘発剤による不妊治療で、三つ子を妊娠した。不妊クリニックの院長から、「このままだと、流産の危険が高い」と説明を受け、妊娠8週で減胎手術を受けた。
 出産する病院で、残った2人のうち1人がダウン症だとわかり、Sクリニックで2度目となる減胎手術を受けた。「欲しくてたまらなかった子どもなのに、自分たちの都合で、ひどいことをしていると自分を責めたけれど、この道しかなかった」と主婦。「出産をあきらめていたら、妻の精神的ショックは計り知れず、立ち直れなかっただろう」と夫(34)は話す。

 12年夏、関西地方の夫婦は、妻(35)のおなかの双子のうち1人の脳に障害があると告げられた。重度で、寝たきりになるという。 異常がある胎児の脳が大きく、もう1人も順調に成長できないおそれが高い。「元気な子どもを出産できる可能性を高める方法」として、主治医に紹介状を書いてもらい、減胎を選んだ。
 夫(37)は、「子どもを授かり元気に生まれてくることは奇跡のようにありがたいとわかった。思いがけない現実に突き当たり、深く考えて、やむを得ない選択をした夫婦がいることをただ知ってほしい」。

 異常のある胎児を選んで手術が行われていたことについて、ダウン症の子どもを持つ父親(53)は、「個々の夫婦の選択や、技術の否定はしない」とした上で、「ただでさえ育児の負担が大きい双子や三つ子で、1人の異常がわかれば、より産むことをためらうだろう」と想像する。
 「背景には、障害を持った子どもを持つ親が、希望しても、なかなか通常学級に入れないなど障害を容易に受け入れない社会がある。障害を持つ人と共に学び働いた経験の有無が、選択に影響を与える。社会を作る一人一人が考えるべき問題だ」と話す。(読売記事ここまで)


超音波や羊水で診断と根津院長 「減数手術」で
京都新聞2013年08月08日

 双子や三つ子などの妊娠で、先天性の異常が見つかった胎児を選んで中絶をする「減数手術」を行っていた諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)の根津八紘院長は8日、大分県別府市で開かれた日本受精着床学会で、超音波検査や羊水検査などで胎児の異常を診断したと説明した。
  講演後、根津院長は「妊婦さんは減数手術ができないのであれば全て中絶する意向で来院する。一人でも多くの胎児を無事に出産させることに手術の意義がある」と話した。(共同通信・記事ここまで)


 初期の報道から院長は、子の親が「減胎できなければ、すべての胎児を中絶する」と言ったので、「一人でも命を助けるために、やむを得ず行った」と、人道的な責任を親に転嫁するような発言を繰り返している。そういう事例もあったのかもしれないが、親へのインタビュー記事を読むと、そんな簡単なものではなかったことがわかる。

 この院長はかつて、夫の精子を、妻の妹の卵子と受精させる(生物学的には妹と夫の子)という体外受精をおこなって、産婦人科学会を除名された人。他にも50代の祖母をホルモン注射で「若返らせ」て30代の母の子を妊娠させるなどの代理母事件で有名だ。

 技術的に可能な限りはほとんどなんでもありで、一部では英雄視さえされているらしいが、私にはどうもうさんくさい。そこまで医者が生命のあり方に介入しておきながら、それを全部「患者のため(せい)」だと責任転嫁しているようにも思えるがどうなのだろう。

 というか、なぜ養子ではダメなんだろう。なぜ日本ではそこまで実子にこだわるのか。養子というものに対する認識に偏見もあるのでは?そのあたりの議論も必要なように思う。

優生保護法(現母体保護法)の条文を見る

「障碍者の悪血を断って民族を守れ」と優生保護法の成立を報じる読売新聞

 21世紀をひかえた1996年、なんと今からたった17年前に議員立法で廃止されるまで、以下の障碍者に対する強制断種の規定が戦後も長らく残されていたのだ!。戦前の法律が若干の文言を変更しただけで「当然に必要なもの」として生き残っていた。1996年までハンセン病患者への強制断種も「合法」だった。

 ナチスの「優生思想」や女性の妊娠・出産への国家主義的な介入は、決して過去のものではないのだ。今回のニュースのような事例にも敏感すぎるくらい敏感に反応して声をあげていかねば、現在の世相の中ではいつでも障碍者バッシングの後戻りがおこりかねないのだ。


(この法律の目的)
第一条 この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする。

(定義)
第二条 この法律で優生手術とは、生殖腺を除去することなしに、生殖を不能にする手術で命令をもつて定めるものをいう。

(任意の優生手術)
第三条 医師は、左の各号の一に該当する者に対して、本人の同意並びに配偶者(届出をしないが事実上婚姻関係と同様な事情にある者を含む。以下同じ。)があるときはその同意を得て、任意に、優生手術を行うことができる。但し、未成年者、精神病者又は精神薄弱者については、この限りでない。
 一 本人又は配偶者が遺伝性精神変質症、遺伝性病的性格、遺伝性身体疾患又は遺伝性奇形を有しているもの
 二 本人又は配偶者の四親等以内の血族関係にある者が、遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、遺伝性精神変質症、遺伝性病的性格、遺伝性身体疾患又は遺伝性奇形を有し、且つ、子孫にこれが遺伝する虞れのあるもの
 三 本人又は配偶者が、癩疾患(注:らいしっかん・ハンセン病患者のこと)に罹り、且つ子孫にこれが伝染する虞れのあるもの
 四 妊娠又は分娩が、母体の生命に危険を及ぼす虞れのあるもの
 五 現に数人の子を有し、且つ、分娩ごとに、母体の健康度を著しく低下する虞れのあるもの
2 前項の同意は、配偶者が知れないとき又はその意思を表示することができないときは本人の同意だけで足りる。

(強制優生手術の審査の申請)
第四条 医師は、診断の結果、別表に掲げる疾患に罹つていることを確認した場合において、その者に対し、その疾患の遺伝を防止するため優生手術を行うことが公益上必要であると認めるときは、前条の同意を得なくとも、都道府県優生保護委員会に優生手術を行うことの適否に関する審査を申請することができる

(優生手術の審査)
第五条 都道府県優生保護委員会は、前条の規定による申請を受けたときは、優生手術を受くべき者にその旨を通知するとともに、同条に規定する要件を具えているかどうかを審査の上、優生手術を行うことの適否を決定して、その結果を、申請者及び優生手術を受くべき者に通知する。
2 都道府県優生保護委員会は、優生手術を行うことが適当である旨の決定をしたときは、申請者及び関係者の意見をきいて、その手術を行うべき医師を指定し、申請書、優生手術を受くべき者及び当該医師に、これを通知する。

(優生手術の実施)
第十条 優生手術を行うことが適当である旨の決定に異議がないとき又はその決定若しくはこれに関する判決が確定したときは、第五条第二項の医師が、優生手術を行う。

(優生結婚相談所)
第二十条 優生保護の見地から結婚の相談に応ずるとともに、遺伝その他優生保護上必要な知識の普及向上を図つて、不良な子孫の出生を防止するため優生結婚相談所を設置する。

参考リンク

優生学とは何か(データサイエンティストのタコ部屋)

優生学とは、人間の性質を規定するものとして遺伝的要因があることに着目し、その因果関係を利用したりそこに介入することによって、人間の性質・性能の劣化を防ごう、あるいは積極的にその質を改良しようとする学問的立場、社会的・政治的実践。障害者や精神病患者などは遺伝によって子孫にも影響して人間の質を劣化させるという考え。社会的ダーウィニズム。日本にも1948年から1996年まで「優生保護法」という法律が施行され、1万6500件もの本人の同意を必要としない不妊手術が行われてきた。

↑いくつもの掲示板やブログで、「本来の自然界でなら障碍者は淘汰されていくべきものだが」といった書き方で、あまりにも無自覚に優生主義に基づくイデオロギー(=障碍者は劣等遺伝子で子孫に悪影響を与える)に染まっている人が多いことに驚きをもった。「劣等」な人間なら排除してもかまわない、むしろ条件によっては排除すべきだという思想だ。人種主義や優生思想はちっとも過去のものではない、いつでも復活して席巻する可能性があるイデオロギーなのだという危機感を強く感じた。

異常胎児を選んで「減胎手術」 双子以上の妊娠で36件(ライフスタイル)
減数手術における命の選別(The Inner Inverted Cone Spiral Structure)
優生学(釧路をイギリスと思う)
胎児の産み分けがすでに行われていたことが判明(ぐり研ブログ)

減胎手術 「異常胎児を選んで」長野(私の「今コレ!」)
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6 件のコメント

  • 大西巨人さんの件は、いろいろ検索してみた結果、私の無知による間違いで、遺伝病の障碍者は断種しろと言ったのは渡部昇一であり、ちゃんと論争がおこっていたようで、訂正と共にリンクを追加しておきました。こういう問題を論評するにはチェックするべき事件だったのですが、自分の無知を恥じると共に、これだけの問題発言が教授辞職など大きな問題となっておらず、資料もなかなか検索できなかったことに驚きます。

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