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八〇年代主流派の道 戦旗派84年前半期総括

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二、6・17反トマ闘争の牽引をめぐる問題

1984.6.17 トマホーク配備阻止横須賀集会
1984.6.17 トマホーク配備阻止横須賀集会

 さて次にわれわれは××××名動員という未曽有の大決起をかちとった、6・17反トマ闘争の領導をめぐる諸問題につき整理しなければならない。この勝利が、以上述べてきた3・25組織化勝利の地平に積みあげられたものであることはいうまでもないことだろう。

 すなわち、3・25 三里塚闘争××××名動員の達成においてわが同盟は、次の大衆運動上の高揚の環が六月トマホーク極東配備阻止の闘いにあることを正しく把握し、反トマ全国キャラバンヘの取組みをいち早く取決め、これを政治的に焦点化しえるような全国キャラバンの戦略的領導を追求したのである。

 これに対し第四インターなどは七・六東京地裁での事業認定取消し訴訟を次の課題として設定しようとし、当初的には全国キャラバン運動を黙殺しようと画策したのであった。だが九名中三名の隊員を派遣し、それを実体的に支える宣伝力ーも三十五日問にわたって貸与するというわが同盟の取組みは、自主講座の井上澄夫氏や神奈川民衆会議の梅林宏道氏(=総体としての日市連グループ)をつき動かし、第四インター方針として七・六焦点化はしだいに色あせ、結局「労働情報」グループや「連帯する会」系列などの全てが六・一七を焦点化せざるをえない政治状況を、わが同盟はつくりあげることに成功したのである。

1984.6.17 トマホーク配備阻止横須賀集会
6.17 反トマ闘争 デモ出発前の戦旗派隊列

 ここにおいてわが同盟と共同歩調をとるに至ったのは、京都トマホーク阻止連絡会の自主的取組みにつき動かされたプロ青であり、三里塚闘争方針をめぐっては対立を浮彫りにさせつつも、反トマ方針においては共同歩調をとるという跛行的二人三脚が、わが同盟とプロ青の間に成立するに至った。

 なおかつ戦旗派派遣メンバーはよくそこでの任務に耐え、全国キャラバンの財政責任者に同志Iが就任するなどし、実体的にもわが同盟は六・一七および反トマ全国運動を領導する位置をつかみとったのである。

 これは八三年11・6~9のレーガン来日阻止闘争の政治的牽引を上回る、外交における戦旗派革命勢力の一大飛躍として正しく対象化されねばならない躍進である。

 というのは、八三年11・9はともかく11・6においては、わが同盟は××××名動員に成功し、なおかつ常盤橋戦闘を打ちぬくなど、闘争的には完全に11・6をリードしぬいたのであるが、日比谷野音での集会は発言をキープすることもできず、要するに動員的主力党派という位置に留まり続ける以外なかった。これに対し八四年6・17闘争にあっては、反トマキャラバン隊の都合三名の発言をはじめ、6・17闘争そのものの内的領導と牽引をわが同盟が実現したわけであり、まさしく実体的に6・17をわれわれ戦旗・共産同が支えぬく関係性をつくりあげることに勝利したのである。

 ここでの第四インターの発言は一人(反トマキャラバン隊員)であり、わが同盟ははじめて大衆運動の領導において名実ともに主力党派にのしあがり、第四インターの大衆ブラ下がり路線、わい小極まる反前衛主義の地域住民闘争路線を打ち破ったといわねばならない。

 もちろん反トマ全国キャラバン運動そのものについていえば、そのヘゲモニーは反トマ全国運動事務局(=日市連)のものであり、党派としての戦旗が前面に出ることを極力封じ込めようとする井上澄夫氏らとの間での確執は続かざるをえなかった。だが大切なことは、絶対にそうなる以外ない市民運動グループや他党派との攻防をつうじ、一進一退の外交的せめぎあいをくり広げつつ、総体として相当のヘゲモニーをわれわれが発揮しえた点であり、ここでつくりあげられた地平を維持すべく闘いぬくことは、今後の戦旗・共産同運動にとっての重要な課題である。

 この確執の過程にはいくつかのエピソードがあったわけだが、

(1)地区派遣のS大のT君が愛知以降も自費参加者として横須賀までキャラバンを続けようとしたことをめぐり、それに反対する井上氏との攻防、

(2)『戦旗』四九〇号二面顔写真説明に「全国キャラバンを最後まで牽引しぬき、6・17横須賀への大決起かちとれ」とあるが、全国キャラバンを戦旗が牽引しているようにしか見えないからいけない、訂正文をのせろ、という再度の井上氏との論争(『戦旗』四九一号に「全国の仲間と共に」が抜け落ちていましたとの訂正を出した)

(3)大阪を引きつぐ愛知におけるキャラバン団長YM子さんの「広く大衆的に自分の身分を明かして闘いたいのでマスクやサングラスは取れ」なる戦旗に対する素面請求、

(4)6・17横須賀闘争において、6・14米原潜夕二ーの横須賀入港に対し、自分の所属するプロ青などが取組みをなさなかったのはナンセンスだ、ゆえに「わたしは全国キャラバンをやりぬいたがちっともうれしくない」「アジア民衆に連帯するなんて平気でいう左翼になんてなりたくない」とかいうTSさんの大衆運動主義まる出しの発言(YさんもTさんも京都トマホーク阻止連絡会)等々

 われわれはいかに反党反前衛を理念とする市民運動家たちと共に闘うことが、面倒極まる手順を要する作業であるかを学びとることになった。

 とくにサングラスやマスクが異様だからいけないというYさんの提起など、現下の日本帝国主義、三井-下稲葉警備公安警察の悪らつな破防法弾圧、面割りを通じての職場への通告や首切り攻撃に抗して闘わんとする戦旗派労働者の苦闘、必要最低限の闘うプロレタリアートとしての自己防衛さえもいけないといっているのであるから、とても応ずるわけにはいかない代物である。それでいてゴジラの仮装やドクロのお面は異様ではないどいうのだから、われわれから見れば全く何をか言わんやと言うべき没階級的見解である。

1984.6.17 トマホーク配備阻止横須賀集会
1984.6.17 トマホーク配備阻止横須賀集会

 われわれが留意すべきことは、それらの諸見解との確執、論争においてはブルジョア的なものを批判し、プロレタリア的なものを承認するという基軸性を特つことである。

 つまりプロレタリア革命運動を前進させ、それを担う組織を防衛し強化する見解は正しいものであり、党は嫌いだ組織はいらないといった観点、小ブルエゴイズムに基づくサークル的観点に対しては明確な批判を加えるべきである。そのためには当事者の一人ひとりが自己の内部に的確な階級的価値観をつくりあげていなければならず、それはわれわれが組織内で論争する場合でも同様である。

 すなわち革命党に結集して闘うわれわれの基軸性が恣意的なものであってはならず、(1)革命運動の勝利をグローバルにつくりあげていくもの、(2)そのために革命党の団結を強め、組織創造性を高めあげるもの、(3)レーニン主義的な共同主観をねりあげていくものが当為であり、そうでないものは間違っているということである。

 この基軸性をあいまい化させて、御用聞き的に他党派や市民運動にかかわるなら、あるいは組織内での指導―被指導の関係性を把握するなら、必ずサークル主義に埋没してしまい、雇われ人思想が一方では生み出され、かつまたわれわれもまたドクロの仮面をかぶったりゴジラのぬいぐるみを着て街を歩き回るディレッタンティズム(草加注:本質よりも自己の感性や感情を優先して趣味的にかかわる好事家・趣味者)に陥っていく以外ないのである。

 もちろんそうした陥穽を阻止しぬく形でわが同盟は六・一七を打ち抜いたのであるが、珍妙な仮装行列みたいな連中がかなり登場し、うらぶれたディズニーランドみたいな雰囲気が六・一七の会場をおおっていたのも歴然たる事実であることを忘れてはならない。

 われわれは反戦反核闘争を人民の生活的実存から遊離したただのお祭りさわぎにさせてしまってはならず、安保-日韓体制打倒への水路を切り開く全人民的政治闘争としての政治性を保持し続けるために闘いぬかねばならないのである。それが主力党派としてのわが同盟の使命でもあり、今後の課題でもある。

 ともあれそうした攻防を経つつも、わが同盟はこの6・17反トマ闘争を主力党派として牽引し、昨11・6を×××名以上も上回る大動員に勝利した。

 この勝利を可能にした主体的根拠につきここでとらえ返すならば、それは第一に、昨年三・八反対同盟分裂以降の中核派による一方的な党派戦争宣言、およびこれを打ち破る方向性のつかみとりにおいて敢行した八三年七・五、十一・六、八四年二・一三ゲリラ・パルチザン戦闘遂行後の日帝の破防法弾圧といった二重対峙状況下の現出に対して、左翼サークル主義を克服したレーニン主義党建設の推進、権力弾圧を打ち破る武装し闘う革命党建設の実践という全くもって自らに試練を課す以外ない左翼的展開の保持により事態の打開をはかってきた、わが同盟戦旗・共産同革命勢力の本質的地平での革命性、戦闘性をあげねばならない。

 わが同盟戦旗・共産同は中核派に対しては内ゲバ回避の方向をとり続けているのであるが、内的な確認としては「いかに妥協を続けようとも熱田派の主力党派である限り、中核派の内ゲバはわが同盟に向けられ続ける。テロ攻撃については覚悟する必要があるし避けられない」ことを何度も確認してきた。

 なおかつ「現在の緊張関係の持続の中で非公然展開力を内包した武装し闘う革命党を建設することが主体的な課題であり、それに向けて一切は準備されるべきである」 「現在の政治状況の中でインターの大衆追随路線、中核派の独断的セクト主義のどちらにも屈せず与しない、全人民的政治闘争派としてのプレゼンスを確立するために独自の主張をかかげ、政治展開を行っていく」ことを路線的に確定して闘いぬいてきたのである。

 この極めてオーソドックスといえる左翼性の保持において党性を保ち続けてきたこと、これが××××名結集を可能とさせた最大の内的要因であることががっちりと把握されねばならないのだ。

 第二には、革命党としての団結を保持し組織として勝利するために結束し続けてきた戦旗・共産同活動家の主体性の発展の問題である。

 これは常任活動家にとどまらず地区党末端の活動家までが献身性と自己犠牲の精神を必要なときに発揮することができ、第二次ブント的小ブルジョア性を完全に払拭して団結する共同主観を身につけたことの成果である。

 つまりは「革命戦争を生き闘う指導主体のガイストとは何か―戦旗派的主体形成論の確立にむけて」(『理論戦線』18号・八三年四月)緒方論文などにおいて対象化された諸内容を、全党全軍が自己のものにするに至ったことを意味するわけであり、認識論的にではない主体変革的自己止揚の道を把握しつつあるわれわれの階級的成熟性として、今後とも内容的つかみとりの深化がさらにめざされるべきである。革命主体の内的発展ぬきには絶対に革命の勝利を収めることはできないのであり、ゆえにわれわれの課題はあくまでも「人民一人ひとりの魂にふれる革命」「われわれは革命の主体であるが同時に革命の対象でもある」という考え方を守りぬくことにある。

 第三には、全世界の反戦反核闘争の高揚にいち早く着眼し、八二年五・二三代々木公園、十・二四大阪城、十一・一四東富士、八三年六・一九代々木公園、十一・六日比谷野音、そして六・一七横須賀臨海公園と全国をまたにかけた総力決起を打ちぬいてきた政治展開の一貫性、戦略的不抜性、および大衆運動的課題として反トマ全国キャラバンを設定し、それを全党的課題としてす早く取り組んだ組織的柔軟性など、要するに妥当性ある政治展開力の保持をあげることができる。

 これは政治展開のあり方においてわが同盟が、大衆の自然発生性に拝跪せず、しかも敵対しないことを原則として闘いぬいている結果である。歴史的にいえば一九七〇年代初期の恒武闘争論の総括「何を守り何を発展させるべきか」(一九七二年六月)において恒武闘争路線の破産の問題として対象化し、以後その主体化のために習熟をめざしてきたことがらである。

 わが同盟は第四インターのように大衆にへつらい、住民団体や文化人をシンボルに立ててその意向にそって運動をつくっていくとか、自分たちは何も言わず大衆に党を批判させるという没主体的な方法を拒否する。わが同盟は独自の戦略的諸内容に基づき、その物質化・具体化のために孤立を恐れず革命党革命勢力として闘いぬく方向をとる。

 だが同時にわが同盟はそれがただの自己満足にすぎないものになってしまい、広範な労働者階級人民の自然発生的意識と結合することができず、前衛を自認する部分の一人よがりになってしまうような闘い方、たとえば現在の中核派の様な運動展開や党のあり方には絶対陥らないように闘わねばならないのである。

 戦旗派がめざすのは革命党に指導された革命勢力の拡大であり、わが同盟の運動はゆえに戦旗・共産同運動である。しかしそれも共闘関係の重視、統一戦線の保持のうちに打ち抜くべきものであり、統一戦線や共闘関係全体の発展は同時にわれわれの発展でもあるのだ。

 こうした考え方を基軸にすることによってわが同盟は今日まで少しづつだが確実に前進をとげ、八〇年五・二五 三里塚××××名の動員から考えても八四年六・一七までに実に約二倍の成長をとげることに成功したのである。

 以上の三点にまとめられる諸要素の結合した力の発現において、わが同盟は苦しく困難な過程を生きぬき勝利を収めえた。六・一七、××××名動員は決してフロックではない。それはわれわれ戦旗派革命勢力の確実な努力のつみ重ね、自己変革の闘いの成果である。われわれは戦旗・共産同の戦略的総路線の正当性、政治展開の妥当性に自信と信念をもって、あくまでも党的団結と戦旗派的共同主観の錬磨の追求のうちに、七・二九以降の八四年秋期大攻勢を固いスクラムを組んで闘いぬいていきたい。全党全軍の同志諸君のさらなる奮闘をお願いしたい。

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