反原発

6年の歳月が物語るもの(9・11集会から)

経産省前テント7周年9・11集会(撮影ムキンポさん)                             (写真:ムキンポさん
 ありきたりの事だが、やはり雨が気になった。このところどちらかと言えば雨の日が多かったのだから誰しもが危惧していたのだろうと思う。だが、その気がかりは杞憂に終わった。まず、何よりも良かったというべきだろう。天も味方したといえば大げさだろうが、そんな気がしないでもなかった。

 経産省前での集会としては8月19日(土)に経産省前テントの強制撤去から1周年の会があったばかりなのだが、やはり、テント創設からの6年というのは格別のお思いがあったのだろうか、300名を超える人たちが集まった。取り立てて数を数えたこともないし、そんなことはどうでもいいのだが、ほの暗さとライトがどこかが自然な演出になっていた集会は壮観な気分に誘うものだった。久しぶりに顔を合わせて人たちが笑顔でエールを交換しているのをみた。僕も何人かの人に「元気、体調はいいのと」と声をかけられた。うれしいものだ。久しぶりに顔をみる、その歓びがあるだけでこの種の集まりは意義があるのだが、それを十二分に示していたといえるだろう。

 テントは今はもうない。それは人々の記憶としてあるだけだ。けれどもこの記憶は様々な思いをともなっているだけでなく、それぞれに濃淡はあるにしても濃いものとしてあるのだと思う。僕らは様々な記憶を持って生きている。記憶は僕らの生命だし、現存性なのだ。記憶としてある限り、テントはなくても存在していると言っていいのだが、それを僕らが追認していことは大事なのだ。テントなきあとも続けられている経産省前座り込みはテントに込められていた精神を引き継ぐものだが、そのためにもテントの事を想起し、その記憶を確かめ合う集会は意味があるし、それは果たされたというべきだろう。

 思えば、僕らがこの経産省の前を脱原発の闘いのひろばとして、創り出そうとし、存続させてきたのは人々の様々な意思であり思いだった。それは何万という人が何らかの形で関わりという風に語られるだろが、その何万かの人々の意思や思いは多様であり。広くて、深いものであり、単純に言葉にはできない、テントに、あるいは経産省前に足を運んだ人々の意思は原発の存続や再稼働に反対するという声に要約されるだろうが、それはさしあたっての共通の、いうなら共同の意思として取り出されたものである。

 これは意思にほかならないし、大事な言葉である。しかし、この背後にある意思はもっと多くの事があり、それは何故、僕らの意思が届かないのか、こういう言葉が現実化しないのは何かということから、あきらめに似た気持ちを抗いたいということまで、言うなら自問自答を含めたものまで含まれたものだ。テントへの、あるいは経産省前への通い路の中で、あるいは座り込みながら、考えていることなどである。

 原発再稼働や存続に反対するとの言葉の背後にあって、それをさせて来た言葉ならぬ言葉こそが、人々の現存の意思である。それは行為の糧の背後に流れ、消えて行くようにある言葉なのだが、それは記憶としてもあるものだ。個々人の意思、その集合の実体をなす意思こそが、響き合ってテントを支え、構成してきた。僕らはそのここの意思は内観を通して推察するしかないものだが、その意思が共感し、響き合う形でテントを、その後の座り込みを支えてきたものだ。

 集会は木内みどりさんの司会ではじまり、多くの人たちの発言に彩れてあった。テントひろば代表である渕上氏、川内の現地で脱原発テントを張り、すでに3年の年月をへてきた江田氏の話にはじまり、「原発いらない福島の女たち」の黒田さんの発言と続いて行った。ゲストの鎌田慧さん・落合恵子さん・中島哲演さん・柳田真さん等多くに人から発言いただい。発言の紹介は誌面の関係で略させていただくが、3・11から6年を過ぎて7年目の今、様々の形で脱原発、再稼働反対の闘いは続けられており、それが披瀝された。その発言は現下の闘いを鋭く表現されていて、参加者の気持ちにグサッとくるものだった。

 政府や電力独占体、官僚は国民の原発に対する意思(存続や再稼働に反対する意思と声)を無視、それが時間の中で風化することを期待しながら、再稼働を進めて来た。また、福島では第一原発の事故の収拾もつかず、その処理もままならない中で、事故などなかったような帰還政策が進められている。これらは権力の暴走というべき状態で演じられている。

 時間の風化と権力の暴走に対する闘いは困難な所業だが、それぞれの場で闘いは持続しているのであり、集会での発言はそれを示してくれた。発言を具体的に報告できないのは残念だが、再稼働の動きがいろいろと報じられている中、長い射程を不可避とする脱原発の闘いは持久しているのである。

 僕らは脱原発の闘いが持久戦としてあり、それは一進一退を含みながら、かつては想像もしなかった闘いになると考えてきた。今もそうだろうと思う。脱原発という国民の意思(意識)、つまりは基盤に変化がない限りこれは続くし、可能性を持つ闘いである。権力は暴走して再稼働を進めているが、この国民の意識に手を付けられない。そこでは彼らの原発政策は展望はないのだし、時間の中で追い詰められている状態に変わりはない。集会での発言はそれを確認させてくれた。

 集会は終わり、参加者による経産省一周のウォークが行われた。当初は経産省1周のデモが予定されていたのだが、これを変更しての経産省1周ウォークだった。旗を掲げての行為は無届けデモになるという警告もあって。ウォークに変更したのだ。このウォークの過程で先頭にいたF氏が逮捕された。僕はその横にいたのだが、むかし、警察が学生のデモにおいて逮捕するというのと全く、同じ形だった。違うのは、僕らはデモ行進をしていたのではなく、ウォークをしていただけだということだ。

 これはその現場の写真もあるし、誰が見ても明瞭なことだ。狙い撃ちでもするかのような用意周到な逮捕は、要するに逮捕が初めから考えられていたということである。不当というのも馬鹿馬鹿しい行為だ。彼等は名目などどうでもよく、とりあえずF氏を逮捕したかっただけである。放火を口実にしたM氏の逮捕と変わらないものだ。僕等は機会と時期がくればいろいろの出方をしてくる警察を警戒しながら、こうした脅しに関係なく、座り込みを続けていく。この件については報告の入り次第お知らせする。(三上治)

味岡修

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文筆家。1941年三重県生まれ。60年中央大学入学、安保闘争に参加。学生時代より吉本隆明氏宅に出入りし思想的影響を受ける。62年、社会主義学生同盟全国委員長。66年中央大学中退、第二次ブントに加わり、叛旗派のリーダーとなる。1975年叛旗派を辞め、三上治の名義で執筆活動に転じる。現在は思想批評誌『流砂』の共同責任編集者(栗本慎一郎氏と)を務めながら、『九条改憲阻止の会』、『経産省前テントひろば』などの活動に関わる。
著書に『幻想の革命』三一書房 1978 『戦後世代の革命』彩流社 1981 『三島・角栄・江藤淳 保守思想の構図』彩流社 1984 『1960年代論』批評社 2000『憲法の核心は権力の問題である』御茶の水書房 2007『吉本隆明と中上健次』現代書館 2017 など。

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