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小説・三里塚

小説・三里塚 戦後最大の住民闘争、三里塚。実在の開拓農家をモデルに、敗戦、開拓、闘争と、その波乱の道のりを感動で描く。

市東さんの農地取り上げに反対する会

市東さんの農地取り上げに反対する会 親子3代90年も耕してきた農地を、違法に取り上げる動きを見過ごすことができません。

結衣ちゃんは革命家

結衣ちゃんは革命家 誰でも遊べるブラウザゲーム。ヒロインの声は声優さんによるフルボイス。君はエンディングを見ることができるか?

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三里塚勝手連 当コミュは三里塚闘争に共感し、様々な形で農民を応援していきたいと考えている有志の集まりです。

戦旗派コレクション

戦旗派コレクション 20世紀、1970~80年代を駆け抜けた「戦旗派」の写真集。かつての同志たちへ、そして……。

過激派への100の質問

現役活動家時代に一般の方からよく聞かれた質問、100問100答集。過激派FAQ。
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転載】金明秀氏による「反差別運動のあるべき姿」についての簡潔な解説

金明秀(キムミョンス)さんのツィートをまとめたもので、こちらから転載。勉強させていただきました。今、とてもタイムリーで重要なことだと思うので、一日も早くと思い、転載させていただきます。金明秀さんには事後報告で申し訳ないですが、不都合がありましたらすぐに消させていただきます。なお太字化は草加によるものです(もちろんイラストの選択もそうですよ(笑)。

fight_racism
【転載ここから】

.@kane031 そういうことはありますね。家族間での意見の衝突は根深く刺さりますし。でもやはり、主張を精緻に切り分けて整理したほうが、色んな意味ですっきりするのではないでしょうか。
ゆっくり、お考えを言葉にしてみてください。その間に、ぼくがどうしてこういう話をしているのか、背景を説明するツイートをポストしてみます。

 どっから説明したもんかなぁ。たぶん、歴史から説明するのがいいんだろうな。
 例えば @kane031 さんは、「共生」という言葉がどういう形で用いられてきたか、ご存知でしょうか。「多文化共生」でもかまいません。「共生」はマイノリティへの差別をやめて、社会に包摂しようという意思を表す言葉として80年代に登場した言葉です。後者はそれから派生した行政用語です。
理念としては、文化的に異質な集団を異質性を残したまま日本社会に受け入れて仲良くしようという発想をもつ言葉ですし、実際にも、各自治体の多文化共生課では、外国出身の市民がそのエスニシティを否定されることなく地域に定着することを目標にいろいろな支援がなされます。

 ただ、「多文化共生」という名のもとで語られたり行われたりすることには弊害が多いということもよく知られています。例えば、文化的マイノリティを包摂する努力をすることなく、ただマイノリティに同化の努力を強いるような場面で「共生」という言葉が用いられたり、逆に、出身文化に強いアイデンティティを(まだ)感じていない子どもたちを民族交流イベントに無理やり出席させて、○○人役割を強引に演じさせたり。

 生物学の世界では、共生関係というのは、異なる種が絶滅寸前まで抗争しあった末に偶発的に到達する安定状態だとされているらしいですね。いっけん仲がよさそうに見えますが、むしろ相互に痛みを経験したからこそたどり着ける境地といったほうがいい。
しかし、異文化接触に伴う痛みを知らずにただ仲良くやろうというような安直な文脈で用いられたとき、「共生」という言葉は、痛みの発生源であるマイノリティに対してある種の暴力として機能する場合があるわけです。
じゃあ、「共生」という言葉や、その言葉を用いた包摂の取り組みはやらない方がいいのか。というと、そうではありませんよね。むしろ、「共生」という理念の安易な適用が発揮しうる暴力性を忘れないようにしながら、さらに包摂の取り組みを実践していくべきでしょう。

 いま、「共生」という言葉を例に出しましたが、他にも類例はたくさんあります。ある運動の理念や目標や手段が批判されたからといって、やらない方がいいということにはなりません。むしろ、批判を受け止めたうえで成長しなければ、独りよがりの暴力に堕してしまう危険性があります
 そうはいっても、いっけん矛盾する命題を統合する形で成長しないと(暴力と化してしまうかも)というのは、ずいぶん難しい要求であるように感じられるかもしれません。

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何度でも言う。差別は「言論」ではない

 前のエントリの最後で「もうちょっと考えてみる」と言ったので、その後自分なりに一生懸命に考えてみましたが、私の能力では特にこれといって新しい知見にいたりませんでした。ただそうですねえ、未だに「在特会」のようなヘイトスピーチを言論だと勘違いしている人が多いのではという気がしました。

◆ヘイトは「左右の論戦」とは何の関係も無い


6.30 新大久保 レイシストヘイト「デモ」への抗議行動
 今までも言ってきたし、これからも何度でも言いますが、差別(ヘイトスピーチ)は「言論」なんかではありません。それは単なる人権侵害行為であり、ほとんどの先進諸国では犯罪の構成要件ですらあります。在日朝鮮(韓国)人の永住権などの地位(植民地政策の戦後処理)や、今後の移民政策のあり方については、それこそ保守から左翼まで、様々な論者が意見を出し合い、左右の間だけではなく、保守や左派の内部でさえ鋭い意見の対立があって、議論が継続されています。アジア外交のあり方についてもまたしかり。別に韓国や中国や北朝鮮に抗議するべきことがあるなら抗議すればいいし、これらの国家が王道楽土で無謬の国だなんて誰も思っていません。

 しかしヘイトスピーチ(差別)はこういった議論とは何の関係もないし、保守から左翼にいたるすべての論者が、一致してこれを批難し、社会的に克服・撲滅していくべき対象でしかありません。そういった社会的存在であるがゆえに、安倍首相でさえ「在特会」を正面から批難する以外の選択肢はあり得なかったわけで、そんなレイシスト達が自分のヘイトスピーチを、保守から左派までを含めて繰り広げられる、こういった「議論の仲間」として扱ってほしいなどというのは、厚かましいにもほどがあるということなのです。

◆「人を差別する権利」なんて誰にもない

 もし、差別が言論だとすれば、その発露は人権の一つということになりますが、それでは「人権を侵害する権利」という論理矛盾になってしまいます。「自由には責任がともなう」とか「公共の福祉」という言葉を聞いたことがあると思います。これは「お国のためには個人は犠牲になってもかまわない」という意味ではもちろんありません。それは各人が個人として人権を保障される以上、各人は他人の人権を侵害してはならず、その範囲内で人権を行使できるということです。「人権を侵害する権利」という言葉が論理矛盾だというのはそういう意味です。わが国の憲法ではこれを「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」(12条)と表現しています。

 簡単な話です。私たちは日本国内のどこにでも無条件に行くことができる自由はありますが、「俺には移動の自由があるのだ」と言って、他人の家に勝手に入っていったり、面談だの「インタビュー」を強要したらどうでしょうか?あるいは気に入らない奴だの、気に入らない集団に属しているからと言って、面罵したりすることを「権利」として認めてもいいのでしょうか?「韓国人はみんな殺せ!」と叫びながら、韓国人のコミュニティに押しかけることが「権利」ですか?もう一度言いますが、そう考えれば実に簡単なことなんですよね。

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桜井会長釈放記念(笑)ー「韓国の桜井誠」

◆「在特会」in 韓国バージョン 華麗なる日韓ネトウヨ対決

 先の暴行事件で現行犯逮捕されていた「在特会」の桜井会長が、取調べに素直に応じて(マスコミ報道)無事に短期釈放されました。それを記念して(笑)、本日はイギリスのネット記事より「韓国版の桜井」の画像を掲載してみます。以下、左が韓国バージョンで、右が本家日本の画像で日韓レイシスト対決の図であります。

日韓レイシスト対決1

 確かこの団体は以前、薫のハムニダ日記様(現在は更新停止)で取り上げられていた人たちで、「在特会」と同じく共生社会を排撃し「不逞外国人追放」などの民族排外主義を主張する団体のようです。左がこの団体のリーダーで、韓国版の桜井誠です。ちょうど日本排撃のデモの先頭に立たれているところのようです。まさにお互いの活動がお互いの正当性を誇示する材料になるわけですし、特に「日韓断行」を掲げる「在特会」とは、互いに利害や思想的な内実がほぼ同じなのですから、それこそ「仲良く」し、このさい手を結んではいかがでしょうか?

日韓レイシスト対決2

 ↑あらあら、まあまあという感じて、思想が似ている人は、やることまで似てくるのですねえ。細かい主張はいろいろあるとして、両者の根本的な思想的な内実は、いくつかの単語を入れ替えれば、ほぼ同じになることは容易に推察できますが、「在特会」の支持者の皆さんは、こうして自分の姿を鏡で見せられてどう思うのでしょうか。いくら「国益重視だ!」とか息巻いてみてみても、それだけではヤクザ同士の縄張り争いとなんら変わりません。

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6・16新大久保カウンター行動の逮捕者を救援しようーまずは「逮捕おかしいぞ」の声を

◆権力による「在特会」桜井会長の逮捕・回収

ねえ、ほっとくの?ヘイトスピーチ
 去る6月16日、東京の新宿区新大久保で行われた「在特会」のヘイト「デモ」において、歩道上で彼らの差別行為に抗議していたプラカ隊やしばき隊などをはじめとするカウンター行動の市民に、路上から突撃して体当たりして昏倒させたり引っかくなどして怪我を負わせたヘイト側のメンバー4人が逮捕された。
 私は見てないのでうかつなことは書けないけれども、一時はその場にいる目撃者から「14人が逮捕された」というツィートが複数流れたので、おそらく歩道に突撃していたヘイトメンバーのうち、それくらいの人数が目に余って一時隔離されたのだろう。でも報道によれば、実際に逮捕されたのは4人だけだったようだ。当日の様子をちょっとだけ拾ってみるとこんな感じだったらしい。

新大久保デモ 湘南純愛組のYという奴が反対車線側の歩道にいたデモ抗議者に走ってタックルをかまし、倒されて頭を打った被害者は救急車で運ばれCT検査まで受けたらしい。何度も歩道に突っ込んでるYを排除しなかった警備の失態だろう。
しかも暴行の現行犯の湘南純愛組のYの身柄をその場で確保しないし、周りの人間が促すまで救急車も要請しないし、救急車も40分くらい来ないし、なんなんだこの警備は?と思ったね。
Tetsuya TASHIRO さんのツィッターより)


 私は別に闇雲に何でも逮捕しろと要求しているわけではないし、逮捕はそれ以外に方法がない場合の最後の手段だと思っている。それは相手がレイシストのヘイトグループでも同じことだ。けど、まあ、「湘南純愛組のY」とか、全く興味がないので知らないが(何その名前?暴走族なの?)、警官の目前でわざわざ反対車線にまで突撃し、無防備な人間にまさかの不意打ちタックルをかましてコンクリの歩道に叩きつけ、そのまま昏倒させてしまったんだから、そりゃまあ警察も仕方がなかったろうよ。その前には別の女性の腕を引っかいて傷を負わしたみたいだし、むしろ、それまでのらりくらりと見て見ぬふりですまそうとしたことのほうが驚きである。

 そしてこの日は「在特会」の桜井会長も逮捕されている。まだヘイト「デモ」に出る前に早々に逮捕されてしまったようで、新聞報道(警察発表)によるならば、カウンター行動に来た人間の胸ぐらを掴んでツバを吐きかけたそうである。うーん、まあ、大筋でこの通りだとすれば、これも逮捕は仕方があるまいなあ。むしろ本人にとっては、そこで警察に回収してもらったから、この程度ですんだんだ。そのまま怪我させるところまでいってたら大事だったぞ。

◆おかしいぞ!つじつまあわせのカウンター行動参加者逮捕

 さて、ここからが問題であって、被害にあったカウンター側からも逮捕者が出ている。しかもご丁寧にもレイシスト側とぴったり同じ4人だ。どうもレイシストが歩道に突撃して揉み合いになった時に隔離されたり、事情説明を求められて任意で警察署に出向いた人間を逮捕しているようで、当初はその中から2名が逮捕されたらしいとツィッターで流れている状況だったが、レイシスト側の逮捕者が4名で確定した時点で数をあわせたのか、最終的に4名もの人間が拘束されている。うち1名はその日のうちにさっさと釈放されたという情報もあるが、マスコミには「対立する双方から4名の計8名」という具合に、「どっちもどっち」で「私らはちゃんと仕事している」的な発表をしている。

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都議選では議席ゼロも-維新の没落を見て考えたこと

きょう(14日)告示された東京都議選。惨敗した場合の責任について問われた維新の会の橋下共同代表は、「グループの中でそういう声が出てくるのではないか」と答えていたが、23日の投開票日、それが現実になりそうだ。政党やメディアの世論調査や選挙のプロの予想では、維新の会は34人を擁立するにもかかわらず、わずか2人が当落線上。ヘタしたら議席ゼロもあり得る散々な情勢なのだ。…(中略)…
今回の都議選は、告示日を迎えても全く盛り上がっていない。前回54・49%だった投票率は、今回は過去最低(40・80%、97年)や過去最低から2番目(43・99%、05年)に近づくとみられ、そうなると組織のある政党が強い。…(中略)… 「59人を擁立した自民党が議席を取りすぎる一方、維新とみんなが失速した。結果として民主が半減で踏みとどまり、共産は憲法改正に反対する人たちの受け皿になって倍増するのではないか。最大でも2議席程度しか取れない維新のダメージは相当大きい。参院選の前哨戦として、東京以外の有権者にも『もう、あの党はダメだね』という印象を与えることになる」(鈴木哲夫氏)。参院選前に橋下は代表辞任か。(日刊ゲンダイ2013/6/14


橋下主義(ハシズム)を許すな!(ビジネス社)
◆極右支持者にとって維新はもはや邪魔者である

 「従軍慰安婦は強制ではなかったし必要なものだった」みたいな妄言が、世界中の批難を浴びて轟沈していく様は、日本を含む市民社会がまだ最低限のモラルを残していることを示すもので、そのことは歓迎したい。たとえば「河野談話の(右からの)見直し」とはいったいどういうことなのか、今まであまり関心がなくて「なんか日本が悪者にされてるそうだから、超厳密に証拠を精査すんのはかまわないんじゃないの?」程度に思っていた人にも、あらためてそういう主張の本質がわかったのではないだろうか。

 だが今やそういう程度の認識の人たちを含めて、多くの市民が政治への希望や関心を失い、投票率が下がり続けるているのが現実だ。そんな低投票率の中、維新が自滅することで、自民党が組織票で幻の勝利に酔うという構造もなんだかなあとは思う。フランスでも主要国の大統領としては異色なくらい極右だったサルコジ政権の在任中は、ルペンら極右政党は選挙で勝てなくなったものだ。つまり極右票が与党に統合されてしまった。日本でも自民党が先進国の政権としてはあるまじきくらい極右化することで、安倍政権と維新のキャラがかぶってしまい、維新のポジションがなくなってしまったということだろう。そこで自民党ですら言えない本音を代弁することで、自民よりもう一歩右に出ようとしたら、そこはもう支持者すらついてこれない議会主義政党の枠外だったというわけだ。

 従来は社共に投票してきた革新浮動票も、前の総選挙では、ちっとも現状を突破できない社共から「今の政治を壊す」ことを期待して、かなりの部分が維新に流れたと思われるが、それも今回の従軍「慰安婦」をめぐる妄言と迷走で完全に冷え切ってしまった。みんなの党が早々に維新を切ったのは賢明な判断だが、右からの「第三極」のイメージ低下は並みのものではなく、まきぞえをくらった形でやはり苦しいのが現実だ。結果として「自民が伸び、民主が踏みとどまり、投票率がさがる」という寒々とした偽りの光景だけが繰り広げられる。

 幸福実現党もそうだが、自民党が極右化した今、極右支持者にとっての維新は右派票を分断する存在でしかない。ネトウヨさんらも普段自分たちが言ってきたことを代弁してくれた橋下市長が、一般の世論から袋叩きにあっているにかかわらず、いつもみたいに「在日の陰謀だ」とか騒ぐ声も少なく、比較的静かにしている。まあ、彼らにとって維新は、パソコンオタクの熱烈な Windows ユーザーにとっての Macintosh みたいなものである。むしろ邪魔でさっさとなくなってほしいと思うか、支持するべき関心の対象外なのだ。そこで維新が生き残るとしたら、熱心なMacユーザーを固める(大阪の地域政党としてやり直す)か、かつての iMac のように、ユーザーの予想のななめ上をいく路線を打ち出す(「マッチョな弱者救済」のようなファシズム左派路線)くらいのものだろう。

 橋下市長も維新は「自民党や民主党のななめ上」であるように有権者に印象づけようと模索していたのかなと思う。だから橋下市長がみっともなくも「真意と違う」的な失言者の決まり文句を言っているのは、要するに「自分の他の発言とあわせて、全体として自分にこんなふうな印象を持って欲しかった(持つべきである)」ということを他人に強要しているだけの泣き言である。結局はかつての Apple がとってますます墓穴を掘りかけたあの路線、つまり Microsoft の路線をまねしてその一歩先を行こうとする路線にはまってしまったようである。

◆ファシズム(極右・民族排外主義)が支持される構造

 もともとファシズムの支持基盤というのは、資本主義が没落して危機に瀕している時代、とりわけ都市部若年層の「俺たちは苦しい、損ばかりさせられている、誰か助けてくれ」という声であり、それに対して、従来の左右の大政党や財界資本家が既得権益などにしばられて動けない中、「よし、俺たちがあいつらを全部ぶっ壊して、お前らが本音で思ってることを、全部いいように決めてやるぜ」という新興勢力として登場してくるものである。各国の極右ファシズム政党が、ハンコで押したように「中道」を自称しているのはこの路線のためである。

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ウィ・シャル・オーバーカム (We Shall Overcome)

 最近はこのブログもアクセス数で「由紀子の日記」に抜かれ、少しいじけぎみの日々ですがいかがおすごしですか。今日はミクシィ日記からの逆輸入です。世間一般的には知りませんが、このブログの基準では、「由紀子の日記」さんの分類でいう「ゆるい話」に属します。

 昨日の芝公園での脱原発集会に参加してきた際、「旗旗7号」と名づけた手押し宣伝カー&ミニサウンドデモシステム(ストリートミュージシャンなどが使っているアンプを母体に改良したもの)をゴロゴロと押して歩いてきました。

画像アルバム ☆動画報告

 今回も、「四大学共闘」の大先輩の皆様(ネットを通じて40年ぶりに再結集した全共闘OB)に合流させていただくことにしました。んでまあ、ちょっと懐かしいものも入れておこうと思い立ちまして、まさに出かける直前に「We Shall Overcome」をウォークマンにダウンロードしていきました。ただ、デモでは四大学OBのご高齢の皆様は、よく新左翼系なども入る最後尾の「その他」隊列ではなく、先頭の市民隊列の一角に入られました。

 それは無難で妥当な選択だとは思うのですが、なんつーか、とりわけ市民運動畑の人やご高齢の方々は、サウンド関係(とりわけ大音響の)をうとましく思われる方が多いらしく、私が反戦系のロック音楽とかを流していると「うるさい!」とまで言われて恐縮することもあります。このままでは今日は「旗旗7号」の出番がない。

 でも私らの入った隊列は、楽器などの鳴り物や、勇ましいシュプレヒコールもあんまりない静かに歩くばかりのデモでして、現場では主催者や長年活動してこられた先輩方をたてて「なるべくでしゃばらない」が信条の私ですが、後方の別隊列のコールにあわせ、「旗旗7号」をトラメガ代わりに精一杯、私なりに盛り上げるようにしました。沿道の私服ににらまれて、ヘルメット姿で全共闘やら三里塚の旗に囲まれた私は「ヒィー、俺は指揮者じゃないですよー」とかビビりながら歩いておりました(笑)。

 そのうちあんまり張り切りすぎて、喉が痛くなった私は、コールを休んで一曲くらい流そうかなと思い立ちました。コールの合間に時々おとなしい目の曲をはさむスタイルでいけばいいんじゃないかと。そんでここぞとばかりに「We Shall Overcome」を大音響にならないよう小さめのボリュームで流してみたんですね。

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議論するのはいいことだ(下)-形式や流行でなく運動の中身の議論を

【討論会】経産省前テントひろばを守ろう
 前回の続きです。こちらのエントリからお読みください。

◆すでにテントは「全国民的」だ

 さて、問題提起の後は休憩をはさんで全体討論にうつります。お三方それぞれの提起を中心に、質問や各自の問題意識、具体的な取り組みや報告、提案など活発な議論が行われました。そのなかでも、前半の針谷さんの「刺激的」な提起について、しばらくやりとりが続く場面がありました。

 先に書いたように、針谷さんの言いたいことは、「テント村は左翼だけの運動にせずに全国民的な運動にするべきだ」ということなのでしょうが、すでにテント村に参加しているのは左翼だけではありません。その左翼の人にしたって、運動の内容を自分たちの主張で独占しようなどとは考えていません。つまり、テントはすでに針谷さんが言うような「全国民的な運動」になっています。なにより「9条改憲阻止の会」が、福島のお母さんら、後から来た非左翼市民の人々に運営を明け渡し、自分たちは裏方に徹して支えているという、テント村成立の経緯がそのことを雄弁に物語っています。門戸は広く開かれているのです。

◆「右翼ぶりっこ」をするべきという提起にイライラ

 ところが針谷さんは具体的なイメージが頭にあるようで、現状がそうなっていないという点について非常に能弁に語られました。針谷さんに悪気はなくて、また、その場にいる左翼の人に失礼になるまいと気を使っておられるのも伝わってはきましたが、語れば語るほどにその内容はエスカレートしてきて、聞いている私はだんだんとイライラしてきました。

 曰く、左翼的な雰囲気のスローガンや団体名、それらの入った旗などはいっさい出さないで、原発反対以外のことは言ってはいけないなどと、どっかで聞いたような話にはじまり、ついには「護憲集会などの帰りにテントに寄る人は、まっすぐテントに行かずにどこかで巻いてから来てください」とまで真顔で言い出された時には、会場の非左翼市民の方からも失笑がもれました。それに対して針谷さんは「いや、そこまでしないとダメなんです!」と一段と大きな声で、「右翼というのは『左翼をつぶす』というのが目的みたいなところがあるから、私がいくら止めても、『そういう集会の奴らがテントに参加している』というだけのことで襲撃対象になって潰されてしまう」とおっしゃる。これじゃいつの間にか「全国民的な開かれた運動」ではなく「右翼に目をつけられない運動」へと論点がすり替わっています。

 そこで市民運動の女性が小首をかしげて「9条改憲に反対すると左翼なんですか?」と質問されると、針谷さんは一瞬虚をつかれて黙られましたが、一呼吸おいてから「…右翼にとってはそうです」とおっしゃったので、会場からは「ええ~~っ?!」という驚きと共に、互いに顔を見合わせるシーンもありました。

 ついには針谷さんの「右からの反原発デモ」に参加しておられる非右翼市民の方から、何の悪気もなく「じゃあテントに日の丸を掲げておけばいいんじゃないでしょうか」という「アイデア」が出され、これに対して針谷さんは「それはとてもいい考えで、私もテントのスタッフにぜひ日の丸を掲げようと提案しているんだけれど、スタッフから『いやそれだけはムリ』と断られているんだよね」と応じられました。話がどんどんおかしな方向にいくので、黙って聞いているつもりだった私も、とうとう辛抱が堪らずに手をあげて発言を求め、針谷さんではなく江田忠雄さんへの質問として、控えめに以下のように述べました。

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議論するのはいいことだ(上)-「テント村を守ろう討論会」に参加

【討論会】経産省前テントひろばを守ろう
 去る2月2日に「たんぽぽ舎」で開催された「討論会・経産省前テントひろばを守ろう」に参加してきました。これも2月頃に途中まで書いて放置されていたエントリですが、詳しい報告は大幅に省略して特に印象に残ったことだけを書く事にします(→アルバム)。

◆「そんな話にのれんなあ」と…

 実は私は翌日に大阪で開催される「関西大弾圧跳ね返そう!全国集会」に参加するつもりで、安い夜行バスなど予約していたこともあり、さほど大々的に呼びかけられていたわけでもない、こちらの討論会に参加するつもりはありませんでした。ただ、討論会のゲストスピーカのお一人として、右翼の針谷大輔さんのお名前があることで、何やらもめているというか、ツイッターなどで執拗にたんぽぽ舎に抗議している人がおられるというのは聞いていました。それで私はてっきり、「針谷さんが右翼だから」という理由で抗議されておられるのだと思っていたし、6・11新宿集会の時みたいに会場に乗り込んで実力行使みたいなことにならない限りは、「右翼(団体)との共闘」に原則的な疑問や批判が出るのはむしろ当然というか普通のことだと思っていたのです。

 ところがたまたまだったのかもしれませんが、私が見たツィートでは、反対の論拠として、針谷さんが「暴力主義的政治団体の議長だから」という理由(だけ)が強調されていました。針谷さん自身はあんまり「暴力的で恐い人」に見えないわけですが、ブログだかWebだかの昔の文章へのリンクを貼ってその根拠としておられました。んでまあ、右翼だからというならともかく、そんな警察の過激派キャンペーンみたいな話にはのれんわなあ、と思ったわけです(→参照「反G8デモの禁止と参加者逮捕を弾劾する」)。

 なんというかなあ、「ドヤッ!これなら右とか左とかの思想で排除してることにならんやろ」と言われてるみたいで、なんかすごく違和感をもった。はっきり言うと反感を感じた。暴力的という理由で排除するのなら、たとえば運動内部での仲間内への言動が暴力的(内ゲバ主義的)というのならわかるし、6・11新宿のときはそれゆえに批判したんだけど、そうではなくて思想や政治主張が暴力的というところまで拡大してしまうと、もう歯止めがないというか、じゃあ直接行動はどうなんだとか、いくらでも人によって判断の基準が伸び縮みしてしまい、かえってよくないと思う。だいたいそれじゃ俺も排除されかねんし(笑)。

 そんでまあ、いろいろ引っかかるものを感じてしまって、あれこれ考えているうちに、「考えてばかりいてもしゃあない、そんなにけしからん、けしからんと言うのなら、いったいどんなにけしからんか、自分の目で見てやろう」と思ったわけです。あ、もちろん「テント村を守りたい。そのためにいろいろしたい」という気持ちもありましたよ。そうでなきゃ、単に「原発を考える」とか「政治を語る」みたいな一般的な討論会だったら、きっとわざわざ足を運ぼうとまでは思わなかったろうから。

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「画像アルバム」に新規画像1,057枚追加しました

カメラのイラスト
 当サイトの『画像アルバム』のコーナーは、主に私自身が参加した集会の写真などを掲載・保存しています。けれど時期によっては力尽きて、せっかく参加させていただきながら、アルバムやブログ、動画コーナーなどでの参加報告もなされていないものがあります。ただ、アルバムについてはだいたい載せてきたつもりでいまして、数件くらい載せてないものがあるかなあくらいに思っていました。ところが、調べてみると、時期によっては3件に1件くらいの割合でしか掲載していない期間もあり、全部あわせてなんと33件も(!)掲載していない集会等がありました。それでこの機会に3日ほどかかって全部掲載することにしたものです。もちろん掲載画像はある程度は取捨選択しましたが、それでも今回掲載した未掲載画像は全部で1057枚になりました。

 内訳は以下の通りですが、こうしてみますと、むしろとてもいい集会やデモで、ちゃんと説明や報告文をつけたい、あるいはブログや動画とあわせて紹介したいと思っているうちに日がたってしまったものが随分とあります。今回はあえて目をつぶって、写真の説明文などはほとんどつけませんでした。やはり何につけ完璧主義はいけないと反省しているところです。自分から見て簡単・不充分でも、何も紹介しないよりは100倍マシです。あと、やはり欝期で、紹介せずに死蔵していたことさえ覚えていないものも結構あります。

 今回は画像なので一気に処理もできましたが、これ以上に未編集の動画や、講演などの録音がたくさんあります。これはさすがに一度に処理できませんので、機会をみてぼつぼつ編集・記録・保存していくしかありません。あと、2009年以前のものについては、実家の古いMacの中にあります。これもいつかはちゃんとサイトに保存・公開したいと思っています。また、『画像アルバム』は読者の皆さんがお手持ちの写真を投稿できるようにもなっています。発表のあてのないご自身の行動や写真などの紹介にご利用いただければ幸いです。枚数が多くて投稿が大変な場合もお知らせ(の上で気長に待って)いただければ対応します。

 なお、以下のリストにありますのは、今回掲載いたしました「新着」の画像でございまして、比較的時期に遅れず普通に掲載されたものは含まれておりません。すべての画像一覧は、『画像アルバム』のメニューからご覧下さい(→集会等の画像一覧についてはこちらにあります

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活動家は「細かいこと」を気にしないほうがいいよ

なおじさんのコメントへの返信が長くなりましたので、大幅に加筆修正の上でこちらにスピンオフしておきます。なお、私の自室は業者さまのリンク写真より約40%ほどマシ…かもしれないです(笑)。さらに本文には書きませんでしたが、私は近所のコンビニで済ませられない用事や手続きなどは間違いなく半年か一年以上滞る社会生活不適合者です。しょっちゅう電話とめられて随分たってからコンビニに電話代払いにいきます。仕事は真面目にしてるから、かつかつながらもお金がないわけでもなく、決して面倒だとも思っていないのです。ならなぜ払わないかと言われても自分でもその理由がわからないのです。特に欝期はそういう傾向がひどく、焦燥感と自己嫌悪の中で暮らしています。でも今回はそういう話ではありませんので念のため。

散らかった部屋の片付け屋さん。私もたのもうかなあ
 私なんかの書いたことでも なおじさん のお役にたてたようで嬉しいですが、そんなにおほめいただくと、なんかかえってこそばゆいなあ(笑)。

 きっと私と実際に合って、三日も一緒に暮らしたら、絶対に心底がっかりしますよ。どっかに一億円が落ちてないかなあとか、いきなりどっかで素敵な女性とお知り合いになれないかなあとか、そんなこと考えて暮らしている、どこにでもいるただのおっさんですから。とりあえず部屋をなんとかしてちょっとは片付けないとね。

◆世の中に「いい人」も「悪い奴」もいない

 基本的に現世には神も悪魔もそのへんをうろうろ歩いていたりはしないので、特定の誰かを祭り上げて依拠したり、逆に貶めて叩きまくるのはどうかと思っています。人間の心というのは誰でも7割くらいが善で、3割くらい悪で、それから弱い部分が7割くらいで、でも強い部分を3割くらいもっている。私もそういう普通の人間です。それから大切なのは、人間はいかようにでも変われるということだと思っています。一人の人間をとってみれば誰でも良いこともすれば悪いこともする。だからどんな指導者に対しても「おまえのそこはおかしいぞ!」と気軽に議論できること、その議論のやり方(不毛な「内ゲバ」や内紛や分裂にならないこと)、そしてそういう議論を容認できる組織や運動や指導者であるのかという点を私は重視しています。特に政治や市民運動の分野では、一時的な成功やら「時代の風にのっている」ことより、それが一番大切なことです。

 なおじさんのおっしゃるその彼も、実は本質は7割くらい「いい人」なんろうなと感じました。「差別者が日常の中で『いい人』だからってそれがどうしたというのだ」という人もいるだろうし、それはまったくその通りです。「いや、彼はいい人だよ」と言われても、差別されている側からすりゃ、だからなんだって話にしかなりません。ただ、そこで終わらずにもう一周考えることも、差別イデオロギーと闘うに際して有益なこともあるのではと考えています。私とその彼も、さらに「差別糾弾」とか言っている人とでさえ、実は紙一重でさほど変わらない人間だということを忘れちゃダメだというか、そうでないと、またぞろかつてのような「奴は敵だ。敵は殺せ」というレベルの低劣な政治(「在特会」がまさにそうなわけですが)に舞い戻ってしまうと思うのです。

◆差別には麻薬的な快感と習慣性がある

 思うに自分より下の人間をつくって差別するというのは、一種の快感があるんですよね。だけれど単純に差別して虐げると良心に咎める場合がありますから、それを正当化する屁理屈が必要になってくる。その屁理屈が時代によっていろいろ変わるだけで、本質的に江戸時代から今にいたるまで何も変わっていないわけです。
 それが今だったら「なんちゃら特権」とかいうんですか。厳しい毎日の生活のなかでも、「ほら、君はむしろ被害者なんだよ。君は本当はもっと偉いんだよ。なのに…」みたいにささやかれたら、本当の敵と地道に闘うより、本当は手をとりあうべき自分より弱い者を(ネットや脳内にしろ現実にしろ)イジメるほうが簡単で手っ取り早く、ほとんど麻薬的で抗いがたい快感があるんだろうなと思います。しかも「それが正義なんだ」とか囁かれるんだから!

 「在特会」とかのメンバーには、ニートや引きこもりなど、本来なら左翼として闘わなくては問題の解決にならないはずの人がなぜか多く存在しているといいますが、それはこういう理由からかと思います。日雇い野宿労働者のおっちゃんにも「朝鮮人」や「部落」を差別する人もいます。彼らを許せないと思う前に、手を取り合うべき生きづらさを抱えている底辺の人同士がお互いを差別して傷つけあうことで自己確認するなんて、なんで悲惨なと思います。
 それはまんまと分断されて本来の敵の手のひらで踊らされているだけなのですが、そうやって一度分断されて孤独に過ごしてきた彼らが、「お仲間」同士の中で現代社会で奪われた連帯感を、歪んだ形で「取り戻す」という面もある。かつての原理研(統一教会・勝共連合)なんかがまさにそうでした。一度その麻薬や「連帯感」にどっぷりはまると、そこから抜け出て本来の現実と向き合うのは、とても辛いことなんだろうと思います。

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